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大東亜超特急―弾丸列車構想(1)

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■1. 弾丸列車計画―東海道本線を拡充せよ

昭和6(1931)年に勃発した満州事変以後、内地から朝鮮半島を含む中国大陸方面への輸送量が増え始め、さらに昭和12年7月7日の盧溝橋事件に端を発する日中両軍の衝突は、全面戦争へと発展、やがて大陸奥深くに戦域が広がるにつれ軍事物資、人員などの大陸への輸送量も増大していった。
当時の大量輸送手段の主たる方法は、船舶と鉄道に限られており、うち鉄道は明治維新後富国強兵の一策として大きく発達を遂げ、こと東京、大阪、神戸など大都市を東西に結び、中国朝鮮への玄関先である九州方面へと延びる “東海道山陽本線” の輸送量は大陸進出と共に増加する一方であった。

昭和9年に着工から16年の歳月をかけ難工事のすえ完成した丹那トンネルが開通し、東京神戸間が50分ほど短縮されたものの、最速列車でも約8時間30分かかっており迅速性を要する戦時体制下ではさらなる時間短縮が望まれていた。
そこで鉄道省建設局では、時速200キロで走行し、東京大阪間を4時間30分、東京下関間を9時間50分で結ぶ超特急計画、『弾丸列車構想』を打ち出すにいたった。

昭和14年4月、鉄道省企画委員会鉄道幹線調査分科会(昭和13年12月発足)は先にあげたような情勢下での分析レポート「東海道本線山陽本線輸送量調査」を作成した。
本調査書は要約すると、『日本の大動脈である東海道山陽本線の輸送量増加で近い将来行き詰まり、この逼迫した状況の打開には新幹線(新しい幹線の意味。現在の新幹線とは異なる)の建設着工を早急にしなければならない』と言ったものであった。
本レポートは各界に波紋を拡げたものの、「新幹線」建設そのものについては反対の理由は少なく、昭和14年7月、鉄道大臣前田米蔵は、「鉄道幹線調査分科会」を発展解消する形で「鉄道幹線調査委員会」という22名で構成された諮問委員会を設けた。
委員会メンバーには関係各界の学識者や各庁高等官が招集 1) され、7月29日永田町鉄道大臣官舎にて第一回会合が開かれた。
鉄道省喜安健次郎次官から東海道本線と山陽本線の輸送量需要増加は、昭和25年頃までに両線行き詰まり何らかの方法を持って打開しなければならいといった説明が詳細な資料とともに委員会でプレゼンテーションされ、議論が交わされた。
そして、後日の会合で改めて以下のような「拡充案」が示される。

  • 線路の増設
  • 増設線路は現行線に可能な限り並行させる
  • 総延長は約1,000キロ
  • すべて複線とする
  • 軌幅は狭軌とするも大陸との接続を考慮し改軌を容易としておく(もしくは場所によっては予め広軌とする)
  • 長距離貨客列車専用路線とする
  • 最大勾配8‰(やむを得ない場合10‰)、最大曲線半径R1200(やむを得ない場合R800)とする
  • 最速目標時間、東京下関間約12時間、東京大阪間約6時間とする
長大トンネルと大都市部は電化路線とする
工事費用約5億円、昭和15年より着工開始し工期10ヶ年とする
しかしながら、これらは既に建設局で示されたもので一種の “政治的デモンストレーション” に過ぎなかった。
具体案の策定やテクニカルな部分は「鉄道幹線調査委員会」とは別に「特別委員会」と呼ばれる組織が実は設けられていて、「新幹線計画」は実質的にはそちらで推し進められた。

(つづく)

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1) 委員の顔ぶれの中には、後の連合艦隊司令長官山本五十六(当時海軍次官)や山脇正隆陸軍次官(終戦時陸軍大将)、元満鉄理事大蔵公望男爵、同じく元満鉄社長代理島安次郎(新幹線の父 “島秀雄” 実父)など蒼々たる者たちが名を連ねていた。ちなみに後に論争となる軌間問題があるが、すでに主要メンバーが “広軌派” とされる者達で占めており方向性は予め決まっていた感がある。

引用参考文献(本記事他続編含む):
(1)『亜細亜新幹線』前間 孝則 講談社、1998年5月15日発行
(2)『闇を裂く道』吉村 昭 文春文庫、1990年7月10日発行
(3)『日本の鉄道全路線3東海道・中央本線』鉄道ジャーナル社、1996年12月1日発行
(4)『昭和鉄道史』毎日新聞社、1978年12月15日発行
(5)『時刻表でたどる鉄道史』宮脇 俊三、原口 隆行 JTB、1998年1月1日発行

  • 本記事(関連続編含む)は、私imakenpressの独自考察や推察推測、思考など多分に含んでいます。
  • イラスト類は、複数の参考文献を基に私imakenpressが作成してます。よってディテールやスケールなど正確性に欠けます。
  • 国際的には軌間1.435mを標準軌といいそれ以上が “広軌” それ以下を “狭軌”と定義されています。しかし日本の場合、平野が少ない起伏に富んだ地形が国土の大半を占めているため、国有鉄道はその発展期から軌間1.067mの狭軌を採用し、それを “標準軌” としました。本記事中では文中の流れなどから “広軌” と表現している箇所は実際には “標準軌” が正しい表現方法です。