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大東亜超特急―弾丸列車構想(3)

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■3. 対馬・朝鮮海峡 * 海底トンネル

ここで『弾丸列車』という呼称について改めて補足したい。
『弾丸列車』とはあくまで通俗的な名称(世界的流行語に近い)で、公文書の正式呼称は『新幹線』もしくは『広軌新幹線』、『高速鉄道』と呼ばれている。

新幹線計画は昭和15(1940)年秋頃から急ピッチで実現に向け動き始めた。
ルート地形図は、当時としては画期的な航空機測量(立川飛行機KS測量機もしくは三菱九二式偵察機改とも)を行い15年末に完成。また高速鉄道に不可欠とされるレールは、つなぎ目なし1,000mタイプを新たに開発(これまでは寒暖差の伸縮を考慮した25m)した。
また実際に用地買収や工事事務所の開設など “国策” として次々と新幹線プロジェクトが起工していった(別掲にて後述)。
そして国内各地で始まった新幹線用トンネル工事とあわせ、対馬・朝鮮海峡でも現地調査が行われ海底トンネル掘削への準備(までは行かないが)を開始した。
『弾丸列車』は終着駅が下関となっており、そこから連絡船に列車ごと乗り込み朝鮮半島へ渡る計画となっていた。
しかしながら船舶を使わず海底トンネルを建設するとなると、下関から朝鮮半島では距離が長いため現実的ではなく、最短である佐賀県北西東松浦半島から壱岐島、対馬を経て朝鮮半島まで向うルートがいちばん得策と判断され、同海域を昭和15年5月頃から本格的に調査 1) を開始した。

海底トンネルとしては世界初の「関門トンネル」が昭和11年に起工され、14年4月には先通導坑が貫通し、本坑の完成も目前(16年7月下り線貫通、19年9月には上り本線が完成し複線化)で日本の隧道掘削技術も成熟期を迎えようとしていた時期と相まって新幹線関係者達は実現させられる自負があったと推察できるが、総延長200キロという長大隧道 2) となるわけで、諸問題も数多くあった。
朝鮮海峡トンネルは大きく分けて次のパーティションが考えられる。

(A)東松浦半島(加部島経由)から玄界灘の加唐島か小川島まで
(B)加唐島・小川島から壱岐島まで〔壱岐水道〕
(C)壱岐島から対馬〔対馬海峡〕
(D)対馬から朝鮮半島(釜山もしくは巨済島)〔朝鮮海峡〕

の四つが独立したトンネルとなり、それぞれの間は島内に陸上路線(もしくは陸上トンネル)を建設し走行させるといったものだった。

(A)(B)トンネルは、長さが約6kmと約17km、水深が最深部約50mと測定され地質学的にも問題はなく掘削できると判断された。
(C)トンネルは、長さ約54km、水深は約130mあるもののこちらも「掘削可」と判断され、対馬まで(対馬海峡)は容易に海底トンネルを造れると結論づけられた。
しかし問題は対馬釜山間の(D)トンネルで、長さは64~70km(巨済島までが最短)ほどで当時の掘削技術でも「どうにか掘れる」長さだったものの(とは言うが不可能に限りなく近い)、水深が230~240mもの深い箇所があり、さらに地質は白亜紀の砂目状で海底トンネルを掘削するには非常に難易度の高いことが判明した。
そのため、朝鮮海峡エリアでは通常海底トンネルの代替案として、海底に橋桁を打ち込みその上にチューブ状の人工トンネルを載せ内部に列車を通すというまるで “少年空想科学本” に出てきそうな内容の提案を陸軍省(挙国体制の弾丸列車計画は、軍事輸送の面もあって当然陸軍側の承諾がないと進められない)に出したものの、図面を見るなり「魚雷で海底橋梁がやられたら終わり」と否定されてしまい、これが原因かどうか以後戦争激化とともに朝鮮海峡トンネルの計画は頓挫した。

なお平成17(2005)年3月20日に起きた福岡県西方沖地震の震源は本海域を震源とし、玄界灘、対馬西方にも活断層の存在が認められ、現在では本海峡海底に掘削するトンネル建設にはやや懐疑的な見方が大勢である。
もちろん戦前でも活断層がトンネル建設に影響を与えることは知られていたが、 3) 当時はまだ同海域にある断層(注:断層の存在は海底調査により判っていた)がどのような活断層かまでは判っていなかった。

一方、内地での新幹線工事は戦時統制下の中でも着実に進捗していた。

(つづく)

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1) 鉄道技術研究所の渡辺貫博士を長とする地質探査班により通常のボーリングと「弾性波式地下探査法」と呼ばれる人工地震波の伝波を利用した測定技術を用いた。本方式は関門トンネル掘削調査時にも用いられた。
2) 鉄道自動車トンネルの長さでは、2011年7月現在、青函トンネル53.85kmで世界最長。しかしながら建設中のスイスゴッタルドベーストンネルの長さが57.091kmなので完成予定の2018年には青函トンネルが世界第二位となる。なお三位は英仏海峡トンネルで50.5km(海底部では世界一)。
3) 活断層がトンネル建設に与えた事案として、丹那トンネル(東海道本線、熱海函南間)建設工事が挙げられる。掘削中の昭和5年11月、三島口切端(羽)(きりは:トンネル掘削先端部)が活断層面に到達し工事を一時中断。おりしもその時、同断層帯を震源とする「北伊豆地震」が発生し断層の東側が北へ西側が南へ大きく動き、切端にあったはずの左右の支柱の右側にあったものは左隅に移動し、左支柱は完全土中にめり込んで見えなくなってしまった(断層運動距離は2.44mとの記録がある)。なおこの時の切端岩盤は掘削時の荒い岩肌ではなく、刃物で鋭くえぐったような鏡面状であった。また地震による落盤事故も発生し犠牲者が出ている。

*本記事中の「対馬海峡」とは、当時の時代背景を鑑み、現在の日本国呼称である「対馬海峡東水道」つまり九州と対馬間のことを指し、「朝鮮海峡」は対馬と朝鮮半島間の「対馬海峡西水道」を指しています。