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山河残りて草木深し―日本本土決戦(13)

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昭和20年も残すところ一ヶ月あまりとなっていた。神州大日本帝国は、本土への敵侵攻を食い止めることはできず、血みどろの戦いを続けていた——

しかし大局は南九州全域が連合国軍により掌握されるのはもはや時間の問題となり、米軍は日本本土侵攻作戦を次段階へ進めようとしていた。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■神山燃ゆ 2

11月25日午後に始まった日本軍第57軍による強襲突撃は、全軍を挙げ米軍へ襲いかかった。攻撃目標は、霧島陣地南側に布陣する米第6軍主力第9軍団だ。北側からは、海兵隊第5水陸両用軍団、西には第101空挺師団、東は第1及び11軍団に背後をとられ挟撃される形となるが、捨て身の玉砕戦であるため退路の確保はせずともよかった。

この約1万ほどの一大強襲攻撃は、それまでの組織的な玉砕戦を遙かに上回ったが、将兵が手に持つ武器弾薬は限りなく少なく、攻撃手段は銃剣抜刀突撃が主たるものだ。

第9軍団従軍記者であるアメリカン・スターズ(AS)通信社記者、スコット・オルティスはこの日の日本軍の攻撃について次のように記した。

“それはまるで、日本で戦国時代と呼ばれた戦乱期における武者たちの合戦を描いた屏風絵を見ているような感覚だった。ここには騎馬武者こそいなかったものの、指揮官は刀を振りかざし続く一般兵士らは槍に見立てた銃剣が主力武装だったためである。近代の戦争情景を私は今この眼での観ている筈だが、しばし中世の東洋に迷い込んだような感覚に陥っていた。”

オルティスがそう思ったのも無理はなかった。
ここは戦国時代の合戦そのものであった。

近代戦争とは、すなわち近代兵器同士のぶつかり合いであり、自軍の兵器長所を活かし敵軍の兵器短所を見抜いて突く戦術・戦略を練ることが基本である。そして「数」という兵員数や「将兵の質・練度」、「統率力」、「天候」、「地形」など諸要素値が「指数」として『戦争数式』に入ることで勝敗が決定する。
もちろん偶然や運といった状況作用も勝敗に影響するはずだが、それらを想定可能範囲に入れれば戦争はすべて数式化できる。
そう言った意味では、例え数万という大兵力で行っている第57軍の総攻撃でも、合理主義を第一とする米軍にとって負ける確率の少ない戦いであって、彼らから見れば日本軍の玉砕戦は理解しがたかった。

それを裏付けるように、総攻撃が始まって僅か15分以内で日本軍の前衛突撃数個大隊が米軍の砲撃の前に全滅し、続く歩兵部隊も次々と撃たれていった。
無数の将兵が数秒で斃れていくこの一方的とも言える戦闘は、後に “キリシマのウサギ撃ち” と米軍が称した。
この名称は、かつてマリアナ沖海戦で日本海軍特攻機が米海軍の近接信管を備えた対空砲により突撃体制をとる前に堕とされていった “マリアナの七面鳥撃ち” に引っかけたものだ。

 

一方、遊撃隊として霧島陣地西側で作戦行動を取っている第424連隊部隊は、第57軍本隊とは対極的かつ帝国陸軍中でも希有な存在だ。
総攻撃に際し、密かに北側に展開してる米海兵隊第5水陸両用軍団の後ろに回り攻撃を敢行することとなった。
突撃など無意味な戦術を嫌う連隊長風岡喜市郎大佐は将兵の前で、

「敵に一泡吹かせろ!」

と、ひと言 “訓辞” し、周囲の将兵たちから笑いがこぼれた。
風岡大佐はこの時若干38歳。
平時であればトントン拍子で昇進してもせいぜい少佐任官するかしないかの齢だが、戦時それも “国家籠城戦” とも言えるときならではの戦時特進階級だった。将兵からは「幸村の兄貴」と渾名され慕われていた。

ちなみに通常帝国陸軍の連隊は、平時1000人以上の将兵を有する規模だが、本土決戦急造部隊である第424連隊は、数回の変遷ののち、米軍の南九州侵攻時には400人ほどしかいない極小規模な連隊となっていた。
非常時ならではの小所帯だが、風岡大佐や配下の原口少佐にとって好都合であった。
原口少佐は、

「ふん。戦闘力ってのは人数じゃないんだよな。ココだよココを使うんだよ」

と頭を右手人差し指でコンコン叩くのが癖だった。
彼にとって『戦争数式』における「数」はさほど重要性はなかった。

原口少佐指揮照輝隊は、好餌を求め移動を開始した。
弦二郞もその中におり、他の将兵らとともに高原地帯を進んだ。

 

時同じくして、対峙中の米第43歩兵師団第3大隊は西側に強力な敵別働部隊が展開しているとこの数日間の戦闘で理解していたため、彼らもまたそれを叩くため追撃戦を開始し、B中隊も続いた。
25日17時、C中隊が会敵中との無線通信がB中隊に入り、それはC中隊が苦戦を強いられている内容であった。
C中隊の位置は僅か北西3キロであり、十分来援は可能だが中隊長エリック中尉は躊躇した。
情報が不鮮明であり、ここで動くことで新たな部隊に挟撃されかねないからだ。
中隊長はブラウン軍曹ら下士官を呼び協議した。

ブラウンは間髪を入れず、

「中隊長、行くべきだ。北には海兵鰐どもがウジャウジャいる。挟撃されることはない。味方の苦戦は無視できない」

他の下士官も同意見で、エリック中尉は中隊をC中隊の会敵地点へ急行させることにし、直ぐさま中隊を走らせた。

実はC中隊は、不幸にも照輝隊に捕捉されていた。
照輝隊は第424連隊本隊が北から南進している米海兵隊を攻撃するに当たり、さらにその周囲にいる米陸軍部隊を掃討することを目的とし作戦行動をとっていたため、強行偵察隊がC中隊の動きを早くから察知していたのだ。
部隊長原口少佐の卓越したゲリラ戦術眼は、決して正面から米軍を相手にせず、古来日本の武士道とはかけ離れた近代戦法を使い敵を翻弄させる。

まず最初に原口少佐が仕掛けたのは狙撃《スナイピング》だった。
C中隊の兵士で真っ先に餌食になったのは、少し離れた位置で先頭を行く兵士だった。
心臓や頭部ではなく脚を撃ち抜かれた。
これによりC中隊は進軍を停止し衛生兵が処置のためその兵士の所へ走る。
そしてその衛生兵が狙撃される。
どちらも命に別状はないものの行軍は不可能だ。
もちろんC中隊は狙撃を喰らった射線に対し応射を行うがラチがあかない。
その間にもさっきとは別の方角から狙撃をされ一人一人文字通り血祭りになっていく。

狙撃銃—-
小銃の成り立ちそのものが狙撃を第一目的として発達してきた。
第二次世界大戦では、参戦各国軍例外なく狙撃銃を正式に採用していた。
一般的にははじめから狙撃任務を専用設計した代物ではなく、一線から退いた小銃(命中精度の優れた機種かつ単発ボルトアクションが好まれた)に改良を加え狙撃銃に仕立てた物が多かった。
帝国陸軍も例外ではなく、専用設計銃など存在せず、一般小銃(三八式もしくは九九式など)から比較的命中精度の優れた個体をアセンブルし、望遠照準器《スコープ》や単脚《モノポッド》を取り付け “〇〇式狙撃銃” と称し部隊へ回していた。
原口部隊の狙撃兵が携行しているのは九九式狙撃銃だ。
南方での作戦を遂行していたときは、敵に銃声で日本軍と悟られないよう専ら鹵獲した米国製小銃に改造を施し国産照準器を取り付けた自家製狙撃銃を運用していたが、本作戦中では狙撃向きの適当な鹵獲兵器が得られず “国産” を用いていた。

 

この20分あまりの戦闘中にC中隊隊長ハリス中尉は、近くに居るであろう日本軍部隊を背後から別働隊で叩いて貰おうと大隊本部へ援軍を要請していた。
原口少佐もまた、こういった敵の動きも予測済みで、逆に別働隊をおびき寄せ同時に殲滅する戦術を考えていた。
足止めを喰らったC中隊と、急行中のB中隊。それに照輝隊の将兵は、僅か1km四方ほどの狭い戦場の中で次に来る自分の運命を背負いそれぞれの役割を演じていた。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く― 【日本本土決戦(14)】