昭和20年11月26日ついに九州南半分が連合国軍側に落ちた。北部九州は辛うじて日本の勢力圏下ではあったものの、制海制空権、補給路全てが杜絶され、もはや日本軍に援軍を送る余裕はなかった。そして第二幕は切って落とされ、舞台は関東平野へ移りつつあった。
※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。
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■落武者
日本軍第57軍の組織的戦闘は11月26日早朝をもって停止した。
ただ九州全域で散発的な戦闘は今なお続いており、その種火が消えることは結果的に終戦までなかった。
板倉弦二郞が身を預けていた第424連隊は、霧島山地北東域で25日深夜から、来援した米陸軍第101空挺師団第33騎兵連隊と衝突し、苦戦を強いられていた。
第33騎兵連隊は、伝統ある連邦軍騎兵隊の末裔だが、現在の移動手段は馬が航空機に取って代わり空から奇襲を行う。
彼らは欧州戦線から転戦してきた屈強の部隊であり、オーバーロード作戦時はフランス領内の敵陣深くばらまかれ、なかには水と携行食のみで独軍相手に1週間以上闘った猛兵《もさ》もいた。
「遅いぜカスター!」
ブラウン軍曹が駆けつけた陸軍騎兵に語りかける。
「わりぃな。俺たちみんなブーツが新品なんだ」
小柄だが筋肉質の髭面曹長が答えた。
「けどよ、熊退治用に60mmも持ってきてやったぜ」
「おいおい、バズーカかよ。戦車なんて持っちゃいねーよ連中。まぁいいさ、助かったぜ」
「よしっ、撃ちまくれ!」
第3大隊B、C中隊の兵士たちは息を吹き返し、反撃に転じた。
マークはガーランドで撃ちまくった。
敵味方の砲撃による炸裂音とともに木々が宙に舞い上がり、照明弾が夜空を照らす。
明らかに第424連隊は劣勢となった。
「いいな、絶対に死ぬな。特攻や玉砕は許さん」
連隊長風岡大佐はそう言い放ち、自らも拳銃を握り闘った。
照輝隊指揮官原口少佐も同じ事を部下たちに言った。
弦二郞にとって宮崎市攻防戦以来二度目の大規模な戦闘であった。
「クソ、ここで終わりかっ」
「節子、清…父さんは父さんは…」
砲弾が舞い夜陰空から土が降る。
「いや、死ぬことはない。死んでたまるか! うおぉーーっ」
弦二郎は闘いながら走った。
無我夢中だった。
居る場所じたい良く判らないから方角などどうでも良い。
ただ直感で走った。
「おいマーク! そこだ2時。目の前! 走ってる日本兵がいるぞっ」
マークと同じB中隊にいる同僚が言った。
「アノ黄色い猿を殺《や》れ、殺っちまえ」
マークたちは小銃を日本兵に向けて撃った。
パン パン パン パン …
走っている日本兵は弦二郞だった。
「畜生、アメ公め!」
「この野郎ーっ、これ以上ついて来るな!」
手にする三八式歩兵銃の装弾数3発、携行弾薬数は5発入り挿弾子2つ、これが全てだ。
弦二郞は身を伏せ、なけなしの残弾を使い撃った。
ボルト動作を3回、間隔をあけずに撃つ。
「うっ!」
マークの腹に弾丸が命中した。
腹を押さえその場に跪いたが、とっさに腰に下げた銃剣《バヨネット》を、立ち上がって場を去ろうとした弦二郞めがけて投げた。
銃剣は弦二郞の右腕をかすめた。
これでは引き金は引けない。
弦二郞は流血する腕を左手で押さえながら暗闇を全速で駆けた。
「北だ…北に走れ」
板倉弦二郞陸軍二等兵の行く先は妻子の待つ荒木村以外ほかなかった。——–
「マークっ!」
ブラウンが駆け寄る。
「ぐ、軍曹…、撃たれちまいましたよ…右脇腹かな」
「あまり喋るな。衛生兵ーーっ!」
「けど、撃ったヤツにもバヨネット投げつけてやりましたよ…」
「さすがだぜ、カンザスのガンマンは」
「フ…、もう田舎モンってバカにしないでくださいね…」
「バカ、お前みたいな田舎モンには俺ら都会モンは勝てねーな。タフ野郎め」
衛生兵がマークにモルヒネを打って眠らせた。
「どうだ、ドク」
「軍曹、なんとか持ちそうだ。悪運の強いヤツだぜ。急所は外れている」
「良かったなマーク…これでカンザスには胸張って凱旋できるぞ」
ブラウンが笑みを浮かべながら軽く右頬に平手打ちをした。
午前7時、硝煙の匂いが立ちこめる霧島山地は夜が明けた。
日本軍第57軍壊滅の報が、霧島山地各戦線で戦っている日本軍将兵へもたらされ、戦闘も散発的となった。
そして第43歩兵師団第3大隊も、第9軍団本隊と合流した。
霧島山地は、日米両軍の砲撃と爆撃により木々は焼け倒れ、傍らに死体の山が無数に点在していた。
また付近の村落や田畑も、戦闘により生じた火災などにより被害は甚大だった。
日本兵の死体が爆撃によりできた穴に放り込まれ、腐敗防止の石灰が被せられる。
「地獄の方がまし」
従軍記者スコット・オルティスは唖然としながらそう呟いた。
「お、アンタ、ブラウン軍曹か!」
「おお、あの時会ったブンヤさんか。確か…首里だったか。縁あるな」
「ははは。軍曹、九州の次は関東にも行きますかい?」
「オイオイ、カンベンしてくれよ」
「どこも身体は壊しちゃいねーけど、そろそろジムビームでも飲んでベットで寝たいね」
「霧島の戦い」、連合国軍呼称 “Operation Autumn storm of Satsuma” はこれを以て終結した。
数時間後、米陸軍第6軍総司令官ウォルター・クルーガー中将はオリンピック作戦の完了したことをマニラの連合国軍司令部ダグラス・マッカーサー元帥へ報告した。
それを聞いたマッカーサーは、傍らにいた副官ホーマン少佐に、
「バターン号をいつでも日本へ飛ばせる準備をしておけ」
と、ひと言命令を下したのであった。
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昭和20(1945)年10月1日~11月26日における両陣営損害状況。
(1)日本側 総兵力:170,000人(主力:陸軍第56、57(及び併合40)軍)(2)連合国軍(米軍主体) 総兵力:720,000人(主力:陸軍第6軍)【本土決戦 決号作戦】以下主な作戦名、戦闘の名称
建武一号~六号作戦(陸海軍、特攻作戦) 昭20.10/26~11/8
弘安作戦(陸海軍、上陸阻止作戦) 昭20.10/20~11/1
薩南沖海戦(海軍、九州南海上対米艦隊戦名) 昭20.10/26
宮崎市防衛戦 昭20.11/3~11/8(ゲリラ戦は以後終戦まで続く)
鹿児島市防衛戦 昭20.11/8
霧島山地の戦い 昭20.11/22~11/26●戦死者数(國民義勇戦闘隊含む)
128,000人●民間人死者数
160,000人●艦艇
作戦参加艦船数:66隻(徴用輸送船含む。特殊潜航艇含まず)
―うち沈没艦船数:10隻 大破中破艦船:7隻 不明:4隻●航空機(陸海 特攻機含む)
作戦参加機数:188機
―うち損失機数:169機
【対日作戦コード】ダウンフォール作戦 45.8/20~
【戦略作戦名】オリンピック作戦―九州侵攻作戦 45.10/20(11/1)~11/26
【主な戦術作戦名】
アナコンダ作戦(陸軍第1軍団):宮崎海岸上陸作戦並びに宮崎市攻略作戦 45.11/1~11/8
オルキヌスオルカ作戦(陸軍第9軍団):四国沖陽動及び山川浜上陸作戦 45.10/26~11/1
レクイエムシャーク作戦(陸軍第11軍団):志布志湾上陸作戦 45.11/1
アリゲーター作戦(海兵隊第5水陸両用軍):吹上浜海岸上陸作戦 45.11/1
ジャンダルム作戦(陸軍第101空挺師団):鹿児島市並びに鹿屋基地空挺攻略作戦 45.11/8
マウンテンキャッツ作戦:鹿児島市侵攻作戦 45.11/1~11/15
フリーダム・ブリッジ作戦(海軍第3艦隊):九州沿岸攻撃及び封鎖作戦 45.10/20~11/26
イースト・レインボー作戦(陸軍航空隊第20航空軍):九州及び近隣空爆作戦 45.10/1~11/26
サツマの秋嵐作戦:霧島山地掃討作戦 45.11/22~11/26●戦死者数
21,000人●民間人死者数
65人(従軍関係者、占領民政局員など)●艦艇
作戦参加艦船数:550隻(戦闘艦のみ支援艦艇、軍務輸送船含まず)
―うち沈没艦船数:0隻 大破中破艦船数:1隻(空母ハンコック)●航空機
戦略爆撃作戦 B-29出撃回数:16281回 B-36同:427回 他:318回
―うち損失機数:B-29:18機 B-36:0機 他:2機
投入海軍機数:2344機
―うち損失機数:44機
この戦いの後、日本政府首脳は新帝都松代で開かれた閣議において改めて聖戦継続が決定された。
また最高戦争指導部(旧大本営、但し組織的実態は陸軍参謀本部と海軍軍令部がそのままスライドした)においても近々来たるべく関東決戦と予測される連合国軍の松代帝都侵攻に備える準備を進めることとした。
同時に第1、2総軍を統合、加治木亘大将を総司令とした新たな本土決戦軍、総隊軍設立が決定された。
だがそれら主戦派以外に、高木惣吉《たかぎ・そうきち》元海軍少将を中心に退役軍人や外務官僚、一部の民間人らが起ち上げた、“国土戦略研究会” 『光明会』なる組織も公然と存在した。
その会の実態は外ならず終戦工作機関であり、顧問に畠鹿孝信《はたしか・たかのぶ》元首相を据え、さらに前侍従長の古尾勝吉《ふるお・かつよし》、対米英通として戦前からその名を内外に知られる袋内太郎《ふくろうち・たろう》元駐英大使らがその任に当たっていた。
断末魔に喘ぐ神州大日本帝国は、岐路に差し掛かっている事は間違いなかった。
(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。
―続く― 【日本本土決戦(16)】