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山河残りて草木深し―日本本土決戦(16)

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ついに九州南半分が連合国軍の手により制圧された。だがなおも戦争継続をする神州大日本帝国。連合国軍最高指揮官ダグラス・マッサカーサー元帥は帝都侵攻作戦 “コロネット作戦” の発動を全軍に命令し、自身もまたB-17H2バターン号で前線に出陣しようとしていた。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■帝国海軍 建武七号作戦

昭和20年12月13日午前2時47分、種子島南東沖にてハワイに向け航行中の米海軍戦艦ミズーリが高い水柱を上げた。
そして6分後、再び水柱が2本、宙に舞った。

帝国海軍イ58潜司令塔員が、夜間用潜望鏡を覗きながら叫んだ。

「2番艦発射と思われる二本《ふたほん》、敵艦右舷に命中確認!」

「間違いありません。アイオワ級戦艦です!」

「敵戦艦炎上中、右に傾斜!」

司令塔員は興奮した声をやや抑えながら橋本艦長に報告を続けた。

「続いて、推定3番艦発射の一本、右舷後部命中!」

灯《あか》りを消し、暗闇の艦内にどっと歓声がわき上がった。

「0259《マルフタゴキュウ》、敵艦撃沈を確認後、当艦は南南西に進路を変更、最大戦速で本海域を離脱する」

艦隊司令橋本以行《はしもと・もちつら》中佐は下令した。

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南九州で戦火が熄《や》んでから2週間余りが経った12月12日早朝、鹿児島港沖に停泊中の米海軍太平洋艦隊第3艦隊旗艦の戦艦ミズーリが、長期作戦任務から解かれドック入りするためハワイ基地に向け出航準備に取りかかっていた。
第3艦隊はオリンピック作戦完了と同時にその任を第5艦隊に譲り、ミズーリからは将旗が降ろされていた。
艦隊総司令であるウィリアム・ハルゼー大将は既に艦隊から離れ那覇におり、また同地には3日前、ハワイ艦隊司令部から第5艦隊総司令レイモンド・スプルーアンス大将が座乗艦ニュージャージーで乗り付け上陸していた。
つまりハルゼー艦隊は、次期作戦に備えスプルーアンス艦隊となっていた。

戦艦ミズーリは、随伴駆逐艦3隻とともに12日午前10時ちょうどに鹿児島沖前線泊地から抜錨《ばつびょう》しゆっくりと進路を南に向けていた。
ミズーリはあたかも観艦式先導艦のように悠然と露払いを従え錦江湾を航遊した。

 

九州南方沖。まるで戦争など遠くの出来事のように海と空は静かだ。
それもそのはずで、この一帯の海域と空域は既に米海軍により抑えられ、また対抗する日本軍艦艇と航空戦力は皆無だったからに外ならない。
しかし例外はあった。
それは帝国海軍潜水艦艇部隊である。
海軍は、大艦隊というほどでもないが、最新鋭高速潜水艦である「イ201潜型」や「蛟龍」「海龍」など “水中決戦兵器” 、さらには人間魚雷「回天」及びその改良型である「天維」などを瀬戸内海に設けられた秘匿基地「鬼結島《きけじま》」に温存していた。

去る11月24日、この鬼結島から歴戦の橋本中佐指揮旗艦イ58潜以下、イ201潜、イ203潜、イ204潜の四艦からなる水中攻撃部隊 “建武艦隊” が、「非理法権天」と「宇佐八幡大武神」の二旗を翻しながら海原に出撃していった。
外洋の太平洋方面に出るには、関門海峡(及び対馬海峡)、豊後水道、紀伊水道のいずれかを通過しなくてはならない。
しかしながら、どの海峡、水道も米軍、ソ連軍が投下した機雷が敷設されているため艦船が安全に通過することは難しい。
通常であれば、潮流や水深、距離の関係から豊後水道を通過すれば航行上比較的安全に太平洋へ出ることが可能だが、僅か14kmほどの水道幅しかない豊予海峡の西、九州側は敵勢力下に近く、完全封鎖の情報もあり、橋本中佐は、遠回りでその分貴重な燃料を浪費するものの辛うじて友軍が制海権を有し、早潮流から機雷封鎖が難しい鳴門海峡を抜け、約22kmの比較的広い紀伊水道を通過し外洋に出るコースを選択した。
1400mと非常に狭い鳴門海峡は、夜間の潮流が比較的安定した時間帯に単縦陣(竿陣形)で浮上して抜け、紀伊水道は昼間潜航して通過した。
この間敵機が何度も飛来していたが、建武艦隊には全く気がつかなかった。
恐らく日本に稼働可能か艦隊など存在していないと思い込み油断していたのだろうと橋本中佐は思った。
3日掛け瀬戸内海を通過し、その後いったん南下し、12月8日開戦記念日に潮岬南東140海里沖に設定した会合海域で全艦の無事を確認した。

そして、進路を北西にとり九州近海で我が物顔で暴れているハルゼー艦隊を追った。
橋本中佐は10月26日の “薩南沖海戦” ―鹿児島沖で回天特攻攻撃作戦 を指揮しハルゼー艦隊に対し、支援艦2撃沈、正規空母1大破せしめるほどの殊勲を挙げたが後味は悪かった。
その後イ58潜はいったん鬼結島基地に戻り、旗艦装備の強化と整備を行い、僚艦となる竣役したてのイ200型3艦とともになけなしの油と魚雷を積み込み再び作戦に能《あた》った。
建武七号作戦と名付けられた作戦は、水中特攻作戦として立案発動されたが、実際には特攻ではなくイ200型の高速性能を活かした一撃離脱作戦だった。
さらに今回の標的は艦隊旗艦もしくは正規空母を撃沈せしめる事のみを主眼とした。

外洋に出た建武艦隊は、ひたすらチャンスを待っていた。
九州に物資を運ぶ輸送船団は、占領沖縄を経由し南九州各所へ陸揚げを行い、再び沖縄に戻る便と黒潮本流に乗ってハワイ、カリフォルニア方面に向う便があった。
それら無数の輸送船団の動きを観測していた橋本中佐は、必ずや旗艦クラスの戦艦もしくはエセックス級空母が黒潮に乗りハワイへ回航されるだろうと踏んでいた。

 

潜水艦隊——
その特性上、潜水艦同士の艦隊行動はひじょうに難しい。
3艦からなるチームで敵商船を沈める独海軍の群狼戦術がその先駆者で、米海軍もそれに近い戦術体系をもっているが、帝国海軍では確立されていない。
もちろん潜水艦群からなる艦隊という概念は帝国海軍にも戦前からあり、ハワイ海戦以来存在はしていたが、艦同士密度の高いネットワークで結んだ戦術行動をとった事例は皆無で、いわば共通した攻撃目標を持った単艦同士の集まりにほかならなかった。
水上艦隊であれば、別働隊を除き目視距離に艦同士がおり、海戦中や準戦闘態勢下の無線封止時であっても手旗、発光、発煙などで信号を送受信可能(ミッドウェイ海戦での激戦中、空母飛龍山口多聞提督が旗艦赤城の司令部へ放った手旗信号の事例など)だが、潜水艦の場合、隠密行動や会敵時などは潜航しているのが常でその時の艦同士の所在確認や無線連絡は基本的に不可能である。
ただ “短波檣《しょう》” と呼ばれる無線アンテナを1mほど水上に出すことで外部との通信は可能となり、この動作を予め決めておいた時刻(定時とランダム両方ある)に潜水母艦や基地と連絡を行い艦の所在確認や行動把握をした。
しかし欠点としてはアンテナを伸ばせる水深、すなわち潜望鏡深度約20m未満でないと通信はできなかった。

そして、昭和20年に完成した最新鋭高速艦イ201型潜水艦と既設短波アンテナ、13号電探(対空レーダー)を強化し司令部機能を配したイ58潜、歴戦の橋本艦長が司令となることで今次大戦初めてとも言える “潜水艦攻撃艦隊” が完成した。
文字通り帝国海軍潜水艦技術の集大成となったわけだが時期既に遅くそのことが関係者を悔やませた。

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9日昼
5ノット以下で水中推進し敵哨戒機、輸送機をやり過ごしながら足摺岬沖に向った。
同日の夜間、短時間のスコールが数回あり濃霧となった。
ここぞとばかりに浮上し14ノット強速力で蓄電航行を行った。

10日~11日
黒潮本流付近まで北上した10日と11日は、ほぼ定点海域で獲物を待った。
足の速いイ204潜は北東海域の偵察を行ったが敵艦に遭遇することはなかった。

11日2305
短波無電による本日の定時確認にて全艦健在確認。
この2日間、イ58潜は敵機6機と遭遇、潜航しやり過ごした。

12日0107
視界やや不良。イ58潜22号電探(水上用レーダー)に反応があり、浮上目視にて四国沖を東上する大型艦を発見。直ちに雷撃準備に取りかかったものの、その船影と航行速度から空荷の大型油槽船と判断し攻撃を中止した。
実際同時刻に航行していたのは、ハワイ経由でサンティアゴに向かうT2型油槽船ウェストカーソン・ヒルズ号であった。

同日1000
艦隊は潜望鏡深度にて航行していた。
旗艦イ58潜は、海上に延ばした短波ラヂオアンテナから多くの無電をキャッチし、それが敵海軍が放つ暗号通信であると確信。近々大がかりな作戦が行われる、もしくは発動されている可能性を見いだした。

同1400
定時確認にて全艦の位置を把握すると共に、イ58潜は “敵艦本海域近航行の可能性高大、雷撃戦準備” を下令。

同1605
種子島沖、大隅水道付近を偵察中のイ201潜が東に向かう艦隊を発見追跡。

同1724
定時連絡にてイ201潜から「1605大隅水道を東進する戦艦1、護衛艦3からなる敵艦隊発見。現在追尾中、位置は…」が発せられる

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暗号変換後、橋本中佐は司令塔の作戦時計を見ながら海図を拡げた。

「現時刻と各艦、敵艦の位置から割り出すと、…ここだ」

一点を挿した。

そこは大隅水道を抜け、都井岬南東沖約70km水深500mほどの海域だった。

「航海長、当艦で0100《マルヒトマルマル》:午前1時―までにたどり着くか」

「水中6ノット最大速でどうにかこうにか。15ノット以上だせる200潜であれば問題ありません」

「よしやってくれ。通信員、各艦に通達。敵艦攻撃開始予定0100…」

「作戦戦術は、Y77だ」

Y77とは出撃前に取り決めておいた何パターンかある敵艦に対する戦術名のことだ。

「1744、作戦開始。無線封止!」

橋本中佐は命令し、僚艦イ201潜、イ203潜、イ204潜は諒解を返した。


(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く― 【日本本土決戦(17)】