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山河残りて草木深し―日本本土決戦(18)

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昭和21年を迎えた。帝都東京は既に一面が焼け野原と化していたが、回数は少なくなってきたものの空襲は続いている。関東地方沿岸では連合国軍上陸が確実視され、鹿島灘、九十九里浜、相模湾一帯には上陸阻止柵と塹壕、地下坑道が老婦女子まで総動員し次々に造られ敵侵攻を食い止める備えとしていた。しかし戦争の終わる気配は未だ見えていない。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■始動、コロネット作戦

昭和21年元旦。
関東地方は帝都東京への空襲回数が昨年秋以降減ってきたため、前年の正月より静けさがただよっていた。
むろん、初詣に往く姿や、羽根突きや凧揚げを行う子供たちはおらず、家庭でもせいぜい雑煮に見立てた菜っ葉塩汁か、薩摩芋を切り餅のように輪切りにし焼いて食べる程度で、伝統行事を行うことなどなかった。もっとも関東地方一帯の都市圏に住んでいた民間人は、強制的に郊外や農村への疎開を余儀なくされていたため、東京区部などは勤労者と軍務関係者以外、居住者は皆無に近かった。

海軍厚木飛行場。
ここには帝都防空の重要拠点基地として、迎撃戦闘部隊第302海軍航空隊が置かれ、国内各地から招集された人材と新鋭機を含む航空戦力、なけなしの燃料・資材を集結させていた。
また海軍機のみならず、陸軍機の四式重爆撃機 「飛龍」や試作高々度迎撃機「キ87」、「キ94II」まで時より滑走路にすがたを現していた。なお「飛龍」は雷装仕様で濃録系海軍機色に塗装した本家顔負けの “陸攻” であった。

これら機体の大半は、敵の爆撃に備え飛行場周囲に造られた掩体壕《えんたいごう》と呼ばれる航空機用秘匿シェルターに隠されている。
ただ、海軍機の中で巨大機である「深山」とその派生機、それに半年前試作機が完成し、テストを兼ね厚木に駐機していた「連山」は置き場もなく運用方法も既にないため、302空司令小園安名《こぞの・やすな》大佐が上層部の意向を無視し、適当な語呂を並べた意見書を添え全機解体してしまった。

南九州で戦闘機乗りとして戦っていた木場敬一もまた関東の主決戦上へ転進を余儀なくされていた。
九州方面の陸海軍航空部隊は、総軍と航空艦隊司令部の方針により、余力のあるうちに残存する航空戦力のほとんどを本州以東に移した。
木場は戦場である九州を離れることに納得はできなかったが、第5航空艦隊長官(南九州陥落後自決した)から直々説得され、大分隊すべての稼働機と共に米軍防空網をかいくぐり九州を去った。その後一時期身を置いた松山343空にて防空部隊の再編成を行い、昨年末厚木へ戦闘部隊隊長として着任した。

元日午後、警戒待機中の木場は、滑走路外れに位置する “相模梁山泊” と隊員が呼んでいる戦闘待機壕から外に出て、今や貴重な “戦略物資” の一本をポケットから取りだし “点火” した。
マッチの刺激的な香りとともに、柔らかい煙草の味わいが体内にしみこむ。

「やはり朝日は美味いな」

日米戦が始まる前は「敷島」や「金鵄」と名を変えた「ゴールデンバット」がお気に入りだったが、外地に赴くようになってからは官給品である慰問煙草を吸っていた。

ふと蒼い空から聞き慣れぬ鈍い音が聞こえたため、木場は見上げた。
すると北西上空をほぼ垂直で高空に向かう3本の航跡を伴った機影の姿が目に映った。

「あれは、噴射エンジン…ロケット機か」

独軍により実用化されていたロケット機の存在を知っていた木場ではあったが、もちろん目にしたのは初めてだ。

「そうさ、あれは飛行訓練中のJ8M1秋水だ」

木場の後から話し掛けてきた者がいた。司令の小園大佐だった。
小園は6年前、華中戦線で木場が第12航空隊に所属し戦っていた時の上官で、航空隊入隊2年目の木場に空戦論や攻撃機の優位性を教え込んだ。

「しゅうすい?」

「2年前に巌谷中佐がドイツから持ち帰ったメッサーシュミット163型の設計図を元に我が軍が造った高々度攻撃機だ」

「ということは対B-36用ということですね」

「そうだ。秋水は成層圏まで3分で上昇する。丹沢山麓に、いまは仮設だが基地を造っているところだ」

しばらく木場と小園は、戦局の要である高々度における攻撃機についての雑談を交わした後、小園が思い出したかのように木場に見せたいものがあると言って、基地から2キロほど北に設けられた掩体壕まで隊のトラックで連れて行った。
そして薄暗い掩体壕の中を小園は木場に見せた。

「こ、これは!?」

木場は驚いた表情を隠せなかった。

「まだ実戦前のものだが、ジェット式迎撃機J9N橘烈だ。秋水同じく巌谷のドイツ土産を元に海軍技術部と中島飛行機が共同で建造した」

橘烈《きれつ》は、ドイツから苦心のすえ入手したジェット戦闘機メッサーシュミットMe262 “シュワルベ” の設計資料(ドイツよりイ29潜と独潜U1224(ロ501潜)にて内地へ輸送したが、U1224は昭和19年5月13日大西洋上で撃沈され全ての資料が消失、イ29潜も同年7月26日バシー海峡にて撃沈され資料の大半を没した。ただその一部は同乗していた巌谷中佐の機転から、シンガポールより空路内地へ持ち帰っていた)より試作した橘花《きっか》が原型機だった。
橘花は、事実上の特攻機として設計された対艦攻撃機だったが、ジェット機というそのポテンシャルから、海軍上層部は運用戦術を転換、推力320kgの搭載エンジン「ネ12B型」に改良を加え1.5倍増させた新型高出力「ネ20型(ネ-20改)」への換装と原型機にはない固定武装として機首に20mmと30mm機銃をそれぞれ2門ずつ、主翼左右にロケット弾発射機を装備させることで純粋な局地戦闘迎撃機として仕立て上げた。

「こいつならやってくれそうだ…」

木場の体内は、否応のない高揚感で熱くなった。

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連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、マニラの総司令部から自身の専用飛行機B-17H2 “バターン号” でマリアナ前進基地へ進出していた。
前進基地はグアム、サイパン、テニアンそれぞれの島に基地機能が分割され陸海軍の進出拠点としてあり、司令部はグアム島に置かれている。
マッカーサーはコロネット作戦、即ち関東侵攻作戦において、その地上軍投入時期を決めかねていた。
日本は冬を迎えており、場合によっては関東でも雪が積もる。
ただ、海浜から多少の丘陵地帯が点在するのみで平野の拡がる関東は、降雪による上陸や進軍への支障は少ない上、東京制圧も問題はない。
しかしながら諜報部の情報によると、政府中央機関は既に東京にはなく、長野地方に移設済みであるとのことで、機械化部隊を伴った地上軍を進めるにはどのルートをとっても山岳地帯踏破を余儀なくされ、雪中作戦には大いに支障がでるものと予測された。

「やはり3月まで待つか…」

グアム島司令部のマッカーサー執務室には、副官のホーマン少佐ともう一人、陸軍省から出向いていたソ連課のレイガー少佐がいた。

気が短く、迅速に事を進めたいマッカーサーではあったが、気がかりなのはソ連軍だ。

ソビエト軍は、対日作戦総司令官としてロディオン・マリノフスキー陸軍元帥がその任に着き、直下に満州・朝鮮を制圧したザバイカル軍150万が朝鮮半島を挟み対峙し、これとは別にウラジオストックに司令部を置き、南樺太・南千島へ地上軍が展開するアレクサンドル・タヴゲーネフ大将率いるウザプリモルスキー軍200万が北海道上陸の準備中であった。ウザプリモルスキー軍はその前身が対独戦にて多大なる戦果を上げたウクライナ方面軍であり、ソビエト軍きっての最精鋭軍団だ。
スターリン書記長は、米英政府に対し、「日本本土上陸作戦敢行の用意はいつでもできている」と通達していて、作戦発動は既に仮定の段階を過ぎていた。

「閣下、しかしながら予測される上陸地点を北海道北部オホーツク沿岸と仮定すれば、彼らも冬の進軍は不可能です」

極東での不凍港と軍事拠点を狙うソ連にとって、既に南半分をアメリカに握られている以上、対馬海峡を超え九州へ上陸することは考えにくく、軍事制圧した樺太千島全島を足がかりに、北海道へ侵攻し支配権を確保するのが、政治的地理的に望ましいはずだとレイガーはマッカーサーに進言した。
そして冬の北海道侵攻は、例え砕氷舟艇で上陸を敢行し、零下何十度という極寒で戦う能力をもった軍隊といえども、南北に連なる蝦夷山系の豪雪地帯を必ず踏破しなくては旭川以西、石狩平野へ出ることは無理であり、大部隊の移動は困難を極める。さもすれば、現地に詳しい日本軍の待ち伏せなど逆襲の可能性もあって、オホーツク沿岸への上陸は流氷氷解もしくは密度の薄くなる4月中旬以降か、先遣隊が冬季上陸をおこなった場合にしても石狩平野侵攻は越冬後であろうと予測された。

「それからレイガー、B-29のソ連貸与計画に私は反対だ。ルメイも顔を真っ赤にして猛反対している」

米国政府は、ソ連軍の日本本土侵攻を阻止するため、余剰になりつつあるB-29をソビエトに無償貸与することで抑え込もうと画策していた。
しかしマッカーサーは、大日本帝国を屈服させた後、数年の世界平和は保てるだろうが、それは戦間期であり、米国の次なる敵は間違いなくソビエト連邦になるであろうと予想しており、共産勢力の軍事力増長を危惧していた。
実際ソ連は、降服後ドイツの科学技術や開発中だった秘密兵器を “戦利品” として国内へ持ち帰り、多くの科学者や技術者も「軍事法廷で罪を問わない」ことを条件に連行し、弾道ミサイルV2やジェット戦闘機フォッケウルフTa183の国産化、さらには原子爆弾の開発まで進めていた。

一通りの説明とマッカーサーの意見を聴いたレイガー少佐は、部屋を後にしようとした。

と同時に海軍情報部極東課のエドワード・アオキ少尉が執務室に入ってきた。
レイガー少佐は、色黒で背が低い東洋人顔のアオキにたいし、見下すような表情をしつつ退室していった。

「気にするなアオキ。私は世界をアングロサクソンが動かしているなんて思ってない」

マッカーサーは、このアオキ少尉を海軍士官でありながらも、彼の書いた大日本帝国と東洋論の分析レポートを読み、能力を高く評価し最高司令部に招き入れた。
早速マッカーサーが単刀直入にアオキに問いかける。

「率直に聞くが、日本のEmperorについて君はどう思っているのか?」

「Emperor? いえ日本にはEmperorはおりません」

「天皇はEmperorではないのか?」

「違います。天皇であってEmperorではありません。そして陛下は天子様です」

マッカーサーには日本の知識もあり文化や歴史への認知度は他の軍人に比べ遙かに高いが、天皇の意味するところがまだ理解できていなかった。

「では天皇とはどのような存在なのか?」

「私は米国生まれの米国人であり、また連邦軍の軍人でもあります。しかし陛下は敬愛すべく父であって、私の体内に流れる血がそれを教えてくれています。そして日本の歴史文化国家の根幹でもあり、国民誰にとって尊い存在です。例え日本帝国政府を倒しても陛下を逮捕することなど言語道断であります」

アオキは少々先走った解答をしてしまったが、予めマッカーサーには釘を刺しておかなくてはならないと強い口調で話した。

「よろしい少尉。それともう一つ、君の戦略レポートに書かれていた特殊作戦の件だが、詳しく話してくれないか」

それは途方もない現実可能かどうか未確定な要素が多分に含まれた作戦であり、言うなれば “大日本帝国政権転覆計画” であった。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く― 【日本本土決戦(19)】