昭和21年を迎えた。帝都東京は既に一面が焼け野原と化していたが、回数は少なくなってきたものの空襲は続いている。関東地方沿岸では連合国軍上陸が確実視され、鹿島灘、九十九里浜、相模湾一帯には上陸阻止柵と塹壕、地下坑道が老婦女子まで総動員し次々に造られ敵侵攻を食い止める備えとしていた。しかし戦争の終わる気配は未だ見えていない。
※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。
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■関東会戦 1 ―蒼い空、紅い雲
「警戒警報、空中合戦用意。1527《ヒトゴフタナナ》防空作戦司令室発令。敵B-29及び36約二《ふた》百機と護衛戦闘機多数、帝都方面に向け北上中。迎撃部隊は直ちに出撃せよ。繰り返す、迎撃部隊は直ちに出撃せよ…」
「サブロー(B-36)の奴、おいでなすったかい」
昭和21年1月10日午後3時30分、厚木基地にサイレンが鳴り響き、木場敬一少尉は当直隊員と共に掩体壕から滑走路に引き出された紫電改に走った。
滑走路には既に局地戦闘機雷電で編隊された第1飛行隊先発隊がタクシングしていた。
雷電隊長機の機上より男が木場に声をかけてきた。
「先に出るぜ、ケイチャン!」
赤松貞明《あかまつ・さだあき》中尉である。
破天荒 ―無鉄砲ではあるが全てが計算ずく― な性格ではあったが、帝国海軍航空隊の中でも屈指のエースだ。
「松チャン!昨日陸戦隊の偉そうな将校からブン捕った満州火酒《ウォッカ》はもうヌケたんですかい!」
木場の方が赤松より階級は下だが、誰もが尊敬と親しみをこめ彼のことを “松チャン” と呼んでいた。
「あーっ、アレか、がははアレは火酒なんかじゃねー、工業アルコールだったようだ! だから機械じゃない俺は酔わん」
「ホントかよ。俺もかなり飲んじまったっすよ!」
「じゃな いくぜ」
先陣を切って雷電隊が離陸していき、浦賀水道方面に向かっていった。
紫電改も整備兵により出撃準備が整い、木場は操縦席に跳び乗り、同時に起動を行った。
通常のシークエンスでは間に合わないので、手順は端折った。
木場が左手で機体を叩き整備兵に合図する。
「アッサーク…イナーシャー廻せ。早くしろ!」
紫電改の1990馬力誉21型エンジンがピッチを上げ、排気筒から濃鼠色《こねずみいろ》の煙が立つ。
「ちっ、また低オクタンか」
「少尉、そんなこと言わないで下さいよ。これでもイイ方っすよ。陸さんの一般機は松根油(しょうこんゆ―松から抽出した液体代替燃料)ですから」
操縦席に顔を上げた整備兵が木場にそう言ってのけた。
「しょうがねーな。よし暖機不十分だが回転数良好だ。コンタクト!」
木場機を先頭に紫電改小隊6機が順次飛び立っていった。
そして雷電隊に続き東京湾に機首を向けた。
すると基地から雑音混じりのラヂオ無線が入った。
「492に告ぐ、492は直ちにU方面へ向かわれたし。敵別働隊発見」
492は木場小隊、U方面とは平塚から小田原にかけてのコードで、どうも敵爆撃機隊は数手に分かれたらしく、その一手が帝都侵入ルートから外れているらしいと言うことだった。
木場隊は小田原方面に転回し、続く5機もそれにならった。
この日の午前中は晴天で一面、蒼い空が関東平野を覆っていたものの午後になって湿った雪雲が太平洋側から現れ神奈川では小雪が舞っていた。
平塚上空に達した。
「クソ、雲が濃いな…」
小隊は索敵を行う。
数分後、無線を通して小隊の鳥尾一等飛行兵曹が伝えてきた。
「隊長!雲上11時!敵戦闘機隊です」
「鳥尾、サブローは見えるか!」
B-29もしくは36が本コースから北上してきたとすると、湘南地区への焼夷弾爆撃の場合、8000m以上の巡行高度から投下高度5000m前後に落しているはずで紫電改でも十分捕まえることは可能だ。
「いました3時にビー公(B-29)とサブロー約20…、高い、高いです。推定8千メーター!」
木場は訝《いぶか》しんだ。
「おかしい爆撃体勢に入っていない。偵察隊か? 高々度巡航中だ。・・まさか、コースは信州宮城《きゅうじょう》か!」
木場は小隊全機を敵爆撃機隊の牽制に迎った。
「全機続け。増槽投下! ぎりぎりまで昇るぞ」
と同時に鼠色の雲から敵直援機8機が木場小隊の前に現れた。
「ちっ、ムスタングかっ。直援機に構うなサブローを堕とすぞ」
木場は敵直援機は無視し、全機をB-36の進航コース上に突進させた。
しかし機動性と格闘戦に猛《たけ》るP-51ムスタングは紫電改の行く手を阻んだ。
そして必然的に空戦となった。
敵直援隊は、隊長機の証である二本の白線が機体にペイントされている木場機に波状攻撃を掛けてきた。
木場はいつものように空戦フラップを巧みに使い、敵機後に回り込み機銃を撃ち込むが、帝国海軍パイロットさえ惚れ込むムスタングの完成度の高い機動性は伊達ではなく、上下左右まるで風に舞う木の葉のように木場の攻撃からヒョイとかわし次の瞬間立体的に襲いかかる。
「だから20mmじゃデカイんだよ」
木場は海軍航空隊が零戦以来、伝統的に採用している20mm航空機用機銃をあまり好んでいない。
威力はあるが、速度射程ともに性能がほぼ頂点に達していたレシプロエンジン搭載の航空機相手には不十分で、敵機を捕捉し撃っても逃げられるケースが多く、かといって零戦の機首用等にあった7.7mmでは威力が得られずその中間口径の機銃が望ましいと思っていた。
対するP-51の主要兵装は12.7mmブローニングM2機銃6門である。
紫電改(紫電21型)においては20mm九九式機銃(原型はスイスのエリコンFF機関砲)4門であり、威力は九九式機銃の方が大きく、命中弾を浴びせられれば秒殺で撃墜可能なものの、初速が秒速750mでM2より150m/s遅く、有効射程距離もM2の場合2千メートルに達していたが九九式は千メートル以下であり、携行弾丸数もP-51は紫電改の倍1880発装備できた。
兵装スペック上一長一短であるが、空戦レベルではP-51の方が有利かつ合理的なアメリカ人らしい考えで設計された機体とも言えた。
なおこの空戦時のムスタング隊隊長は第15戦闘航空群第82戦闘飛行隊隊長フランク・ネピア少佐で、この日の戦闘を後にAS通信社記者スコット・オルティスによって綴られた「日本従軍記」の回顧録 “太平洋の流星” 章中で語っている。
“私はこの日初めて日本軍最強機George(紫電改のこと)と日本上空で闘った。空は鉛色で視界もあまり良くはなかったが、Lucie(搭乗機―夫人名)は絶好調で格闘戦においては勝つ自信があった。――中略――しかし次の瞬間私は眼を疑った…”
紫電改とムスタングが巴戦をしている最中もB-36は大空を悠々と北西に飛行し続けていた。
しかしネピア機が木場機の真後ろにつき、機銃を撃ち込もうとしたその瞬間、トリガーを押すタイミングを見失うほど血の気が引く思いをネピアは感じた。
それは、B-36隊に向け、超高速で上昇している3機を眼にしたからだ。
「あれは秋水!」
木場は元旦に蒼い空に向け飛ぶ姿をみたロケット機であると確信した。
その時の機体は、試作機色の橙色がハッキリと見て取れたが、今回は濃緑色で、正式採用機となっていた事が理解できた。
秋水は、初の陸海共同開発機体で、部隊運用は陸軍隊と海軍隊2つ存在していたが、初陣はこの日の海軍隊第312海軍航空隊所属の「火神隊」で、東埜篤志《とうの・あつし》少尉が率いていた。
東埜と木場は、互いに入隊間もない頃の支那事変下の大陸で、大空に舞い共に闘った戦友だったが、この空戦時は互いに気がついていない。
その火神隊先陣3機は、ロケットモーターの上昇力によりあっという間にB-36隊より遙か高空にまで上昇し、燃料が枯渇したと当時に反転下降しB-36に襲いかかった。
B-36隊は対空機銃で反撃体制に転じたものの、高速で滑空する秋水への攻撃が間に合わず、先導する隊長機はエンジンを至近距離真上から秋水1機の30mm機銃で撃ち抜かれ、反撃体制に入ってものの2分で空中爆発を起こした。
他のB-36も2機から攻撃を受け、墜落は避けられたもののキャビンやフラップに大穴を開けられた。
さらに直ぐさま同じ方向から秋水部隊が上昇してきた。
3機で1チームとなり、2チームがB-36隊を襲いかかった。
再びB-36隊の1機が火を噴き箱根方面に墜落していった。
隊長機を失ったB-36隊は、高度を上げながら右旋回をし、隊列を東南に向けた。そして全弾投棄処分を行い怯えるようにマリアナへの帰還方面コースをとった。ネピアたち直援隊もそれに習い硫黄島へ帰還していった。
この僅かな時間を、狐にでも誑《たぶらか》かされたように呆気に感じていた木場の眼には、真っ紅に染まっている鼠色の空が映っていた。
(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。
―続く― 【日本本土決戦(20)】