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山河残りて草木深し―日本本土決戦(2)

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昭和20年8月14日、長引く戦争により疲弊の極みに達していた日本——

広島長崎への原子爆弾投下とソ連参戦により、これ以上の国体維持が困難と判断した日本帝国政府は連合国に降伏する準備をしていた。
しかし降伏を潔しとしない一派 “神州救國会” がクーデターを起こし内閣を樹立、その新政権により戦争は継続されることとなった。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■決号作戦 ―国力と軍編制

大東亜、日米戦争から、文字通り “世界皆敵戦争” へと変化した昭和20年9月。
この時点での日本側の国力は以下の通りだった。
まずは主な工業原材料から見てみると、

総原油貯蔵量 9万5000キロリットル(59万7500バレル)
総鋼材量 40万トン
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年間原油生産量 24万3000キロリットル
年間石炭生産量 2980万トン
年間鉄鉱生産量 163万5000トン

原油に関しては、昭和20年3月に徳山に入港した光島丸の1万2000キロリットル(7万5500バレル)の原油を最後に南方資源地帯からの供給が途絶え、その後は国内の秋田八橋などわずかな油田から得ていたが(上図の通り、年間約24万キロリットル生産)、度重なる空襲などにより石油精油所は壊滅寸前となっていた。
また、津軽海峡が米軍の敷雷等により完全に封鎖されており、本州への海路輸送が不可能となっていたため、北海道で採掘される良質で豊富な石炭も工業燃料として使うことができなかった。
なお兵器の製造に事欠かせないアルミニウムの原材料であるボーキサイトは、既に供給が途絶えていて備蓄はほぼ無きに等しかった。

次に、兵力に関しては以下の通りである。

陸上兵員数(海軍陸上部隊含む) 約250万人(義勇兵含まず)
保有戦闘艦艇数 約33万総トン(無傷稼働可能艦艇)
保有航空機数 海軍:約3200機 陸軍:約3000機(いずれも整備機)

陸上兵員数は、内地に集結可能だった陸軍部隊のそれに、陸軍指揮下に編入された海軍陸戦隊及び水兵までを加えたもので、さらにこれに根こそぎ動員により招集された16歳以上50歳未満の男子(國民義勇戦闘隊)を充当することになっていたが大半は練度が低く質の低下は否めなかった。
海軍艦艇は、先に述べた通り連合艦隊が既に壊滅していたものの、昭和20年に新造空母葛城など少数の大型艦が竣役していた。しかしながら満たす油はなく、同様桂島泊地に係留されていた残存戦艦に至っては半沈砲台としていた。

では軍の編制と配置、兵器についてを見てみる。

基本は本土防衛に徹することが目的で、国内に仮設された敵前進基地への攻撃はあり得るが外征は考慮していない。
海軍は稼働可能な戦闘艦が小型艇程度しかなく、大半の操艦員の水兵たちは陸に上がり、陸戦隊と共に陸軍指揮下に編入された(ただし陸海混成部隊ではなく部隊単位)。
よって再編成した軍は、陸上軍による敵上陸の阻止が主であった。
航空兵力に関しては、残存航機約6200機の大半を特攻攻撃用として温存させることとなっていた。
ただし、防空迎撃には、新鋭機を主に当たらせ、急ピッチで生産を開始した局地戦闘機「震電」、ロケット機「秋水」などをこれに当たらせた。また当初は特攻専用機として試作したジェット攻撃機「橘花」の基本運用戦術を変更し、その潜在能力の高さから、エンジン強化(ネ-12Bからネ-20改へ換装)と20mm及び30mm機銃2門ずつ、計4門で重武装化させた高速迎撃機とし、新たに「橘烈」と名を改め、高尾山中の中島飛行機秘密工場などで量産化を進めていた。

また “決戦兵器” としていた特攻「専用」兵器が多く開発生産されており、その多くは、工業原材料の不足からブリキや木材などを使った簡便なものだった。航空特攻機として陸軍機「剣」と「兜」(体当たり専用廉価レシプロ機)、「神龍」(同ロケット機)。海軍機「桜花」と「桜花改(桜花22型)」(ともに母機懸架出撃ロケット機)、梅花(滑走出撃式ラムジェット機:生産途上)。海洋特攻として何れも海軍の人間魚雷「回天」と「天維」(強化型回天)、特攻艇「震洋」、潜航艇「蛟龍」、「海龍」それに肉迫機雷 「伏龍」があった。

そして以下が昭和20年9月の決号作戦発動時における軍編制である。
基本的に、昭和20年春に戦時編制された体制が踏襲された。

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— 陸 軍 —

【第1総軍】(東方面)総司令官:加治木 亘大将

青森以東愛知までの東日本の防衛を担う。
鹿島灘、九十九里それに相模湾は敵上陸が予想され、同周囲に兵力を集中させた。また内原、千葉、佐野、厚木にはそれぞれ戦車師団が置かれ敵上陸軍の迎撃に備えた(佐野は鹿島灘方面から西へ進出した敵への備え、若しくは東京に進出した敵軍を北方から攻撃するためとされた)。
東京と名古屋の師団には高射専門師団が含まれ、最新鋭の高々度攻撃用五式十五糎(15センチ)高射砲を帝都久我山陣地に設置していた。
なお浦和の第36軍は陸軍最強の精鋭部隊で構成され、帝都防衛の要である東京防衛軍には約1年間は戦えるだけの武器弾薬が備蓄された。

第11方面軍 《仙台》

●第50軍 《青森》 2個師団 1個旅団
●直轄部隊 4個師団 1個旅団

第12方面軍 《東京》 ※連合国軍上陸が予想される想定戦域

●第36軍 《浦和》 8個師団
●第51軍 《高浜》 3個師団 3個旅団
●第52軍 《酒々井》 4個師団 1個旅団
●第53軍 《伊勢原》 3個師団 2個旅団
●東京湾兵団 《船形》 1個師団 2個旅団
●東京防衛軍 《東京》 3個旅団
●直轄部隊 3個師団 2個旅団

第13方面軍 《名古屋》

●第54軍 《名古屋》 3個師団 3個旅団
●直轄部隊 4個師団 1個旅団

【第2総軍】(西方面) 総司令官:田上 鉄市元帥

京都大阪以西九州全域までの西日本の防衛を担う。
いち早い敵の動きとして、昭和20年10月頃南九州の宮崎日南海岸、志布志湾、吹上浜などに上陸が予測され、同周囲に兵力の集中と物資の優先的配給を行った。
また、第2総軍と歩調を取っていった海軍は、特殊潜航艇「蛟龍」や人間魚雷「回天」、爆装艇「震洋」など特攻兵器の秘匿基地を九州の入り組んだ海岸地形を利用し建設していた。

第15方面軍 《大阪》

●第55軍 《新改》 4個師団 1個旅団
●第59軍 《広島》 2個師団 1個旅団
●直轄部隊 3個師団 1個旅団

第16方面軍 《二日市》 ※連合国軍上陸が予想される想定戦域

●第40軍 《伊集院》 4個師団 1個旅団
●第56軍 《飯塚》 4個師団 1個旅団 及び壱岐要塞
●第57軍 《財部》 4個師団 4個旅団
●直轄部隊 4個師団 5個旅団 及び対馬要塞

【総軍以外の本土軍】

本土防衛には、二つの総軍に隷属されない方面軍、兵団が三つあった。
以下の第5、第10方面軍と小笠原兵団それに関東軍である。

第5方面軍 《札幌》 2師団 1旅団

*国土最北の防衛を担う軍だが、樺太千島の諸師団各部隊は昭和20年8~9月の対ソ戦で壊滅状態であり、また津軽海峡を連合国軍により封鎖されており本州との交通路は遮断状態となっていた。
*隷下の第88師団、第89師団、第91師団、独立混成第129旅団は既に壊滅もしくは玉砕。

第10方面軍 《台北》 5師団 8旅団

*沖縄戦で米軍と戦い、その後も台湾上陸に備えだが、既に本土との交通路が遮断していた。
*隷下の第32軍は沖縄戦で玉砕。

小笠原兵団 《父島》 1師団

*主力第109師団は昭和20年2月の硫黄島の戦いで玉砕。父島防衛を担っていた混成第1旅団を第109師団として再編成し、予想される米軍の小笠原諸島上陸に備えていた。

関東軍 《新京→京城→釜山》 *壊滅

*最強と言われた関東軍も、米国との戦いにより南方へ兵員を割かれソビエト軍に対する備えは十分ではなかった。そして対ソ戦勃発時には旧朝鮮軍をあわせ第1、第3、第17方面軍及び第4軍があったが、国土防衛に徹するために満州を放棄し南進。しかし物量に勝るソビエト軍の前に為す術がなく朝鮮の戦いで壊滅していた。

【外地軍】

外地、特に島嶼における孤立した守備隊の大半は、内地への帰還方法はなく、“現地軍ノ独自采配裁量ニヨル戦闘及ビ徹底抗戦” を通達していた(もっとも連絡も杜絶している部隊が多かった)。

支那派遣軍 《南京》

昭和20年8月時点で、総勢100余万人の大兵力を誇っていたが、以後に始まった英中連合軍の一大攻勢により、各軍は拠点防衛に徹するもそれもままならない状態となっていた。指揮系統は既に乱れ、軍同士の連絡、連携作戦はもはや取れない状態となっていた。いずれにせよ大陸各地の部隊は一路南京を目指し転進を続けていた。

●北支那方面軍  《華北・北京》
*中国軍の総攻撃により壊滅転進。
●第6方面軍 《華中・漢口(武漢)》
*中国軍の総攻撃により壊滅転進。
●第13軍 《長江南岸・上海》
*中国軍の総攻撃により壊滅転進。
●第6軍 《華中・杭州》
*中国軍の総攻撃により壊滅転進。
●第23軍 《華南・広東》
*昭和20年8月末に行われた米英連合軍による広東上陸作戦と香港空挺奪取作戦により壊滅玉砕。

南方軍 《仏印》

仏印、昭南、ジャカルタなどは、辛うじて日本側の勢力圏となっているものの、本土との交通は遮断され、連合軍による散発的な攻撃にさらされていた。

●ビルマ方面軍 《ビルマ》
*英軍のビルマ解放作戦により壊滅玉砕。一部はバンコクを経て仏印へ転進。
●第7方面軍 《昭南》
*辛うじて昭南を占領維持。
●第14方面軍 《ルソン島》
*昭和19年10月から始まっていた一連の比島決戦において壊滅していた。
●第18方面軍 《バンコク》
*日泰同盟破棄により英泰連合軍と交戦となりサイゴンに転進していた。

【航空総軍】総司令官:河辺 正三大将

温存させておいた稼働可能な陸軍機約3000機をもって特攻作戦を行うとしていた。

第1航空軍 《東京》 2個飛行師団

第6航空軍 《福岡》 1個飛行師団

直轄部隊 6飛行師団


— 海 軍 —

【海軍総隊】総司令官:春本 重道中将

連合艦隊 《陸上・日吉》

既に連合艦隊と呼べるだけの数はなく、また大型艦を運航させる油もなかった。司令部(旗艦)も木更津沖に停泊中の巡洋艦大淀から昭和19年9月、日吉の慶應義塾大学内に構築された地下防空壕へ移していた。

航空艦隊

第3航空艦隊 《南九州に展開》 3個航空戦隊
第5航空艦隊 《南九州に展開》 4個航空戦隊
第10航空艦隊 《霞ヶ浦》 1個航空戦隊
第12航空艦隊 《大湊》 1個航空戦隊
*以上はいずれも基地航空隊で、陸軍同様特攻機約3000機をもって敵に迎え撃つとしていた。ただし極少数だが、秘密工場(中島飛行機高尾山麓地下工場など)で生産されていた新鋭機や優速局地戦闘機は特攻用とせずあくまで迎撃を主任務とさせた。

第6艦隊(第11潜水戦隊) 《呉》

唯一とも言える実稼働艦隊でその中には大型潜水艦イ400、401や最新鋭艦イ201、202、203、204なども含まれ、敵艦隊に備え本土近海を哨戒していた。しかし攻撃主体は「蛟龍」、「回天」等による水中特攻としいた。

第7艦隊 《門司》

朝鮮海峡を隔て対峙するソビエト軍に備えていたが、既に主要艦船はなく拠点防衛が主任務。

【海上護衛総隊】

第1護衛艦隊 《東京》

【鎮守府・警備府】

鎮守府直属の部隊として、「突撃隊」の存在がある。同隊は「伏龍」と呼ばれる特殊兵装を身に纏った海軍歩兵のことで、潜水具を着て吸着爆薬を棒先につけそれを手に持ち敵上陸艇通過予想地点の水中で待機、兵士頭上に敵艇が来たとき爆雷を突き上陸艇を撃沈する肉弾特攻隊である。若い隊員の多くは元予科練航空兵で搭乗する機体がなかったため突撃隊に配属されたとされる。

横須賀鎮守府
呉鎮守府
舞鶴鎮守府
佐世保鎮地府
大湊警備府
大阪警備府
鎮海警備府 *壊滅
高雄警備府 *交通路杜絶

【外地艦隊】

艦隊と呼べる規模の艦船は既になく、陸軍と共に拠点防衛隊化しており、散発的な連合軍による攻撃に対し反撃する余力もほとんどなくなっていた。

第11航空艦隊 《ラバウル》
第13航空艦隊 《昭南》
第4艦隊 《トラック》
第1南遣艦隊 《昭南》
第2南遣艦隊 《ジャワ》

【支那方面艦隊】

昭和20年8月末に行われた米英連合軍による広東上陸作戦と香港空挺奪取作戦により壊滅した。

第2遣支艦隊 《香港》
海南警備府 《海南島》

【南西方面艦隊】

比島決戦時、陸軍第14方面軍と共同作戦をとるも玉砕。

第3南遣艦隊 《ルソン》

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総兵力として、陸海総勢約300万人ほどであったが、本土と外地、さらには本州と北海道すらの交通路が分断されており遠距離間の共同作戦をとることがほぼ不可能となっていた。
また、陸海共に主力攻撃を特攻とし、一人数十人必殺を旨としていた。

歩兵用の武器弾薬は、優先的に正規部隊へ回された。そのため國民義勇戦闘隊には、退役軍人であれば旧式ながらも明治初年採用の歩兵銃や猟銃が辛うじて支給されたが、年少者にはおよそ近代兵器とはほど遠い急造火縄銃、洋弓銃、竹槍などが与えられた。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く―【日本本土決戦(3)】