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山河残りて草木深し―日本本土決戦(21)

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昭和21年1月、連合国軍は一面焼け野原と化している帝都になおも空爆を続けていた。同時に大空の魔龍B-36部隊は中央政府疎開先である信州にターゲットを定め攻撃の準備を進めていた。迎え撃つ日本軍は15センチ高射砲や高々度迎撃機をもって挑んではいたが、既に枯渇している資源と工業材料等で思いような成果を上げることができなかった。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■関東会戦 3 ―成層圏に舞う天女

昭和21年1月27日、海軍厚木飛行場併設の軍施設、高座防空研究所に帝国陸海軍の航空関係者が集まり今後の防空体制について協議すべく会議が開催された。
会議の座長には、高高度戦闘研究の第一人者、照井丈治《てらい・しょうじ》陸軍中佐がつき、取りまとめ役は海軍航空技術廠飛行実験部の小福田租《こふくだ・みつぎ》少佐、ほかに第302海軍航空隊司令・小園安名少佐や民間の航空機製造会社、東京帝国大学航空力学研究所などからも専任者が招集され、末席に東埜も座った。
会議は今次大戦の戦局から、もやは新型機の開発やエンジンの精度品質向上などは差し置き、いかに既存機で高空から進入する敵機を迎撃するか、その体制と運用の強化が議題となった。また米陸軍で、すでに実用飛行が開始され南九州陥落により日本本土上空での戦線投入が時間の問題となっていたジェット戦闘機「P-80」への対抗策も話し合われた。
しかしながら結論には至らず、高高度機での空中特攻に拘る陸軍と高速機による対艦特攻の重要性を主張する海軍の主戦論者たちの意見が大勢を占め、お互い特攻には消極的な考えを持っていた照井中佐と小福田少佐は取りまとめに苦慮した。

会議が終わり、東埜は呆れながらも議場の防空壕から出た。
帰隊するまで時間がまだあったため、海軍の連絡用乗用車に乗せてもらい “相模梁山泊” に足を運んだ。
かつて支那戦線でともに闘った戦友、木場がいると聞いていたので会いに行くためだ。
相模梁山泊とは厚木の第302海軍航空隊隊員たちが名付けてる戦闘待機壕のことで、パイロットたちの指揮所兼宿舎兼サロンだ。
待機壕は滑走路からほど近い盛土状の木々で覆われ、カモフラージュされた場所にあった。
入り口近くの井戸で機械油で汚れた顔を拭《ぬぐ》っていた男がいたので東埜は木場少尉を知っているか訪ねた。
男は鳥尾一等飛行兵曹と名乗り自分は木場の部下だと答え壕内に案内した。

「東埜、東埜か!」

薄暗い壕内の一室で下士官と碁を打っていた木場が突如訪れた海軍士官が東埜と気がつき立ち上がって声をかけた。

「久しぶりだな木場」

2人は日米開戦初戦、フィリピン攻略戦における海軍航空隊が行った制空戦以来の再会だった。

「小園のオヤジも相変わらず元気そうだ」

東埜が台南時代を懐かしむような口調で木場にそう呟いた。

「まぁな、オヤジはマラリアを患ったが相変わらず猪突猛進中だ。ここではナンだから外で煙草でも飲みながら話そう」

そう木場が言って相模梁山泊の壕外に2人は出た。
危急存亡の戦局は、久しぶりの再会であっても長い時間を割くことなど許されず厚木の空を眺めながら会話は短時間しかできなかった。
しかし共に死ぬか生きるか、喰うか喰われるかの戦場を飛び続けてきた木場と東埜は、たとえ短時間であっても心情を交わすには十分だった。
雑談をしばし交わし、別れ際に東埜は、

「近いうちにまた火神隊は出撃する。なんとしてもこの国の山河を俺は守りたい」

そう言って、対戦闘機戦能力が全くない秋水部隊の護衛任務に厚木の航空隊が就くことが決まったので、自分と共に闘おうと木場の肩を叩いた。

「オイ東埜、先に死ぬなよ。死ぬときは俺の許可を取れ」

その木場の言葉に対し東埜は、奇妙なことを口にした。

「木場、天女の微笑みを見たことがあるか?」

木場は冗談と思って軽く笑い。

「空で抱いてみたいね」

と返答した。
結果、これが二人の今生で最後の会話となった―――。

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その頃、マリアナの米陸軍第20航空軍司令部では、第82戦闘飛行隊隊長フランク・ネピア少佐から報告を受けていた予期せぬ日本軍新型機の出現に対抗策を急いだ。

ネピア隊機のガンカメラが捉えていた日本軍新型機は形状と攻撃法から、旧独空軍ロケット機Me163であることが直ぐに推察でき、限定戦術機の同型機であれば、解析済みかつカウンター法も確立していて懸念すべき事項は少なかった。
しかし問題点は別にあり、連合国が掴みきっていないドイツのオーバーテクノロジー兵器を日本軍が保有しており、日本製Me163にもそれらが加味され、同時にジェット機Me262なども戦線に投入される可能性が危惧された。
ことMe262の実戦運用は現実性が高く、低オクタン燃料を使える上、自陣内での運用であればレシプロ機より遙かに稼働時間が短いジェット機の運用にも支障は少ないと判断され、対抗機としてP-80型ジェット戦闘機を日本戦線へ投入させるべく急いだ。
ただP-80を関東上空へ飛ばすには、南九州や硫黄島を勢力圏に抑えている現在でも航続距離が若干足りずもう一歩足がかりが必要な状態であった。

それから2週間が経った。

カーチス・ルメイ少将は、ひと芝居打つことにし、武装写真偵察部隊を装う3機編隊からなるB-36を1万メートルの高々度巡航にて相模湾から北に潜入させ、敵の高高度迎撃機の出方を見ることにした。
もちろん硫黄島から発進させる護衛戦闘機もつけるが、なるべく目立たないよう飛行させることにした。

「糞蝿ジャップスプレーンを潰せ!」

といつものような口調で命令を下しマリアナ前進基地から特別編成第702C部隊を出撃させた。

 

昭和21年、日本軍は、枯渇寸前の国力ながらも一大防空監視網を築き上げ、それなりに効果も上げていた。
陸海軍共同により、小笠原・伊豆両諸島など島嶼部や海上の小型船舶(木造漁船を小火器程度の武装を施し改造した “帝国海軍” 雇用船で監視隊からは「特攻艦」と呼ばれていた)における有視界・集音監視はもとより、少数だが八木アンテナによる電波探知装置やウルツブルグ対空レーダーまで導入し、得られたデータを即座に短波通信で防空司令部に転送できる監視ネットワークを敷いていた。

北進中の702C隊は、小笠原近海でそれら日本軍防空監視網にキャッチされ、情報は即座に木更津の防空作戦司令部へもたらされた。
機数やコース、時間などから司令部は写真偵察部隊と判断し、陸海軍の各迎撃部隊に通達、丹沢山麓の海軍秋水基地へも出撃命令が下った。

 

待機していた東埜たち第1火神隊隊隊員は直ぐさま滑走路に走った。
しかし整備兵と燃料科員が秋水の周りに集まっていて、その中の班長が隊機9機すべてが不調であることを東埜に告げた。
主機関、特呂2号モーターはいたって快調だが燃料のうち甲液過酸化水素フィーダーに設計上不備があることが判明し、下手をすると過呼吸を起こし特呂2号が焼けてしまうと言った。

だが東埜は引き下がらなかった。
班長の油の付いた襟元を掴んで言った。

「バカモン! 神州危急存亡の昨今、自分だけ遊んでいられるかっ! 今日だって特攻隊は飛んでいるんだ。咳き込んでいない機体だけでも出すぞ!」

齢四十過ぎの歴戦の班長だったが、毘沙門天の如く形相で迫る東埜の気迫を前に程度良い4機を選び出撃整備を始めた。

 

同じ警報が厚木飛行場にも鳴り、木場小隊6機の紫電改と下空域警戒隊として零戦4機が逐次発進していった。

「東埜…死に急ぐなよ」

木場はそう呟き急上昇していった。

 

冬晴れの正午、成層圏を飛ぶ特別編成第702C部隊は、相模湾を北へ悠然と航行していた。
そして硫黄島から発進していたフランク・ネピア少佐率いる直援部隊第82戦闘飛行隊を視認した後、

「全機2万9千フィートに高度を落とせ」

と、高度を9千メートルに落とすよう部隊指揮官で1番機 “グレートタートルBB” 機長のハーモン中佐が全機に命令を下した。

B-36 3機は成層圏と対流圏のほぼ中間へ高度を下げたことで、限界高度が1万2千メートルであるムスタングは余裕を持って編隊の真上を飛行することができる。

ネピアは8機の直援隊を二手に分け備えた。

 

直後、相模湾上空5千メートルを南南西に向かう日本軍零戦隊を捉えた。

「隊長っ、方位180下、ゼロ隊発見!」

ネピアはそれら零戦隊は警戒部隊であり高度を上げては来られないと判断し、迎撃しないことにした。

「追うなよ、絶対にジョージが出てくる」

ジョージとは紫電改の米軍側呼称である。

 

同じ頃、高度8千メートルを巡航する木場小隊も702C隊を目視していた。

そしてほぼ同時に両軍の戦闘機隊が互いを視認し、交戦状態となった。

木場はなるべくムスタングをB-36から引き離すことにし、尾を振りながら南東に進路をとった。

ネピアとしても秋水をおびき出させるため、4機で木場隊を追った。

紫電改対ムスタング。
相模湾上空で激しいバトルが繰り広げられた。

機銃による攻撃のみならず、両軍機が装備していたロケット弾の撃ち合いも行われ、空の戦いは確実に時代が変わろうとしていた。

 

702C隊は相模平野に侵入した。
そして待ち構えていた東埜たち第1火神隊4機は、出撃した。

「出てきたぞ!コメットだっ」

ネピアは心躍った。
木場の紫電改と闘っている自分たちとは別のB-36真上に待機中の直援隊にカウンターさせるのが狙いだ。

 

飛び立った4機の秋水は、上昇していた。
しかし整備班長の指摘通り飛行は順調とはいえなかった。
離陸は問題なく見えたが、2番機と4番機が数十秒後にモーターが停止し、両機はバランスを崩しきりもみしながら墜落、残った1番東埜機と3番機のみが天空めがけ突撃していった。

だが残った2機も思ったほど力速できない。
明らかに粗悪な燃料フィーダーが目詰まりを起こし、反応促進剤がモーターへ完全に供給できない状態であった。

「ちぃっ、クソったれ、昇れ! 負けるわけにはいかんのだ」

東埜は叫んだ。

これら秋水の一連の所作を上空からつぶさに観測していたネピアは、見逃さなかった。

「間違いない。ジャップスコメットにはエンジンに欠陥がある」

そう判断し、上空直援隊ではなく、ネピアとともに紫電改と交戦している1機を秋水へ突撃させることにした。

「よし、ピート、突っ込め!」

無線でネピア機右上にいる小隊機に上昇中の秋水2機へ襲いかかるよう指図した。
この間、火神3番機は推進不能となり、低速で揺らいでいるところを真横から迫ってきたムスタングの放ったロケット弾を浴び爆発した。

木場の紫電改も追いかけようとフラップをなびかせたがネピアのムスタングが執拗につきまとい追いかけられない。

東埜機を捕捉したピート・マッカーシー曹長機が機銃を浴びせ、推進剤が引火した秋水は火達磨となった。
それでもなお上昇を続け、B-36めがけ飛翔し続けた。

「まだだ! まだっ、毘沙門天我に力を」

東埜は最期の力を操縦桿にこめた。

すでに秋水は、垂直尾翼と左主翼を打ち抜かれていたが、それでも突撃を試みた。
B-36は炎となって昇ってくる東埜機へ最大限の弾幕を張り応戦した。
手を伸ばせば届きそうな距離だった。

「山よ…河よ…」

雲海の隙間から現れた陽が血糊が着いたキャノピーに照らされ、東埜が微笑んだその瞬間、神鳥秋水は力尽き成層圏へ閃光を散りばめ四散した。

「東埜ーーっ!」

紫電改コクピットから木場は叫んでいた。

 

不思議と成層圏は静寂で美しい光景が広がっていた。
その時木場は空に舞う天女に抱かれ昇天していく火神東埜の姿をはっきりと目にしていた。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く― 【日本本土決戦(22)】