日本本土へ侵攻する米英軍の漁夫の利を得るようなかたちで行われたソビエト軍による北日本侵攻だったが、彼らは電光石火わずか一週間足らずで北海道と東北における主要拠点制圧を完了した。一方、動揺を隠せない日本軍兵士の士気は低下し、軍中枢にも不穏な空気が漂い始めていたが、松代の神州大日本帝国政府首脳はそのことにまだ気がついていない。
※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。
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■北の雷鳴 3 ―日本東北区人民戦線
ソ連軍が東北地方に侵攻を開始した翌3月24日未明、那須岳山麓にて軍用無線を通じ同報を得ていたSOC “カラス組” は日本政府の政治犯収容施設への襲撃を開始しようとしていた。
彼らは、攻撃目標を眼下に見下ろせる山の斜面に身を潜め、スラッテリー隊長は年季の入った小型双眼鏡で索敵しつつ契機を窺《うかが》っていた。ちなみに、スラッテリーは生粋のアメリカ軍人のくせにドイツカールツァイス製を愛用する。理由は単に丈夫かつ歪みがなく明るいレンズが使われているからだ。
スラッテリーの後ろにいるアオキは、隊に同行している日本人内通者ツチヤに話し掛けた。
「ツチヤサン、あんたの任務はここまでだ。あとは俺たちの仕事だ」
ツチヤは、懐中からモーゼル自動拳銃《C96》を取り出しつつアオキに返答した。
「ふっ、お前さんたちには言ってないが俺の仕事は他にもあるのさ」
「まあいいさ、ただアンタが撃たれてもほっとくし、作戦に支障が出たら容赦なくブチ殺すぞ」
スラッテリーは振り向き、いつもは見せないような鋭い目と低い声でツチヤにそう言うと、左にいるブラウンもうなずきホルスターからガバメントを抜きスライドさせツチヤを威嚇した。
「よし、ティム! ベータチームかかれっ」
スラッテリーのかけ声と同時にティムこと、ウッドワード中尉のベータチーム6名が収容施設、鈴村前首相が幽閉中とされる邸宅の裏手や側面、付近の物陰まで小走りで前進した。ベータチームは邸外でのサポートだ。
幸いにして、ソ連軍侵攻という危急事態からか、守衛として昨日まで何人もいた警官と憲兵は周囲にいなかった。
ベータチームが守備配置につくと同時に、スラッテリーはアルファチームに攻撃開始を告げた。
「アルファチーム! ゴー」
ブラウンを先頭に、スラッテリーとアオキを入れ7名が屋敷の正面門に走った。
ツチヤも後からついてくる。
生け垣で覆われた屋敷門にさしかかったとき、庭内の灌木から2名の警官が門前に現し鉢合わせたが、うち一人をブラウンが背後から口を押さえ喉をナイフで抉《えぐ》り、もう一人をクリス・カーン軍曹が鼻骨を掌で脳髄に埋没させ、無音で瞬殺した。
アルファチームは慎重に庭に入り、灯籠や植木の物陰に隠れながら屋敷に向かった。
広い庭を持つ邸宅の屋敷は平屋で、地方でよく見られる富農の別邸風古民家だ。南側にある開放的な縁側も特に逃走防止の細工はされていないようだった。
隊員たちはその縁側から屋敷に侵入した。
「鈴村を探すぞっ」
一行は分担し、床が軋《きし》む音を最小限に抑えながら屋敷内の探査を行った。
アオキは、共産主義者との二重スパイであると見ていたツチヤの挙動を怪しんだが、監視している暇もなく屋敷に入る前に見失っていた。
そのツチヤは、戦闘に集中するカラス組をまき、彼らが向かう屋敷とは数百メートル離れた場所にある別棟に走った。
日本国内で活動していた共産主義者や無政府主義者が政治犯として逮捕され収容されている棟で、鈴村が幽閉されている風雅な屋敷とは異なり、鋼材不足から鉄筋を入れず現場打ちしただけの無骨なコンクリート製平屋建物だった。
ツチヤは入口にいた看守数名をモーゼルで射殺し、さらに棟内にいた看守に銃を突きつけ脅し、房扉の南京錠を片っ端から解錠させた。
緊急事態を知り、他の看守5名が外から棟内に入ってきたが、房から出てきた政治犯たちにより逆に縛り上げられ、看守たちは全員空室となった房へ押し込められた。
独房の一室から共産党員で、数年前に赤狩りにより東京小菅に収監され、昨年こちらに移送されていた安森国和が房外に出てきた。
ツチヤは思わず声を上げた。
「同志ヤスモリスキー!」
「君はリキシィ! 力石善之助かっ」
この力石善之助がツチヤの本名で、安森同様日本共産党員であった。
「安森さん、ソビエト赤軍が本土に進撃しています。今こそ革命の好機です。いっしょにこの那須から仙台へ… 情報では日本人赤旗軍も上陸するとのこと」
「ではもしかしたらソ連邦に亡命した堀部さんが生きていれば革命戦士として来ているかも知れない。判った、この収容所にも同志が大勢いる。皆を引き連れここを脱出するぞ」
力石は仕事の締めくくりとして、背中に巻き付けてきたダイナマイトを取り出して導火線に火をつけ看守たちを閉じ込めた房の食事差し入れ口から中へ放り投げた。
同時に収監されていた政治犯一行は、北東に延びる尾根の山林まで全速で走った。数分後、収容所はダイナマイトが轟音とともに爆発し、その炸裂音と硝煙に紛れ那須から彼らは脱走した。
後年、彼ら脱走した者たちの多くは、時の権力者により有害とみなされ粛正されてしまうのだが、極東社会主義セクトにおいて中心的役割を担う人物も輩出し、結果論ではあるが彼らを生かしてしまったことを生涯に渡りブラウンは悔やむこととなった。
邸内を調べ歩くアオキは、飯《めし》炊き場で、近村から雇われここで従事している農婦と思われる中年女と遭遇した。
とっさにアオキは日本語で“自分は日本人だ、時局、鈴村前総理にどうしても合わなくてはならない” と女に説得するように話し掛けた。
女は一瞬驚いた表情を浮かべたものの、相手が日本語をしゃべるアオキに心を許したのか鈴村の居場所を手短に教えた。
直ちにアオキはスラッテリーやブラウンとともに教えてもらった居場所である書院に向かった。
入口廊下には、特高(特別高等警察)らしき監視員と思われる背広姿の日本人が座っており、隊員の一人が即座に近寄り殴り倒し一撃で気絶させ、懐中にあった拳銃を奪い取ったのちロープで捕縛し、横の小部屋に押し込んだ。
アオキとスラッテリーが書院のふすまを開け中に入った。
スラッテリーは、作戦前に見て記憶していた鈴村の肖像写真の顔とその場にいる男の顔を頭の中で照合し一致させた。
早朝ではあったが、鈴村は既に起床し和装の作業着姿で座卓の前に座って筆を走らせていた。
アオキが一礼し鈴村に近寄り、彼が書き写している書を見てひとこと言った。
「閣下。法華経でありますか」
「うん、そうだ。写経は儂の朝飯前の日課でな」
「不作法を承知で申し上げます。我々はアメリカ合衆国陸軍特任部隊で、私の後ろにいるのが隊長のウィリアム・スラッテリー大尉。私は海軍情報武官のエドワード・アオキ少尉と申します。あまり時間がありませんので詳しいことは後でお話しますが、閣下をお迎えに参りました」
「あんた方がここに来ることは古尾侍従長や袋内の手紙に書かれた隠語から何となく判っておった。はっはっは、こんな老いぼれ爺にできることなどたかが知れているがね」
「いえ、閣下にはやっていただくことがあります。明治以来、幾多の困難や難局を乗り越えてこられた閣下だからこそなし得る仕事があります。さらに言えば閣下は現憲法下では総理大臣のままです」
「…。判った。ではちょっと待て、道中支度じゃ」
鈴村は押し入れから風呂敷包みと手拭い、地下足袋を取り出した。
「どうじゃな。風流じゃろ、では行くかね」
一行は、鈴村とともに周囲に警戒しながら小走りで屋敷外に出た。
「ウィル、こんな爺さんに歴史を動かす力あんのか?」
ブラウンがスラッテリーに話し掛けた。
「コーチ、彼はこう見えてもサムライの出で海軍大将だ。白熊野郎《ロシア》との戦争じゃ死線をくぐり抜け、連合艦隊司令長官もつとめた。2.24事件を覚えているか?」
「ああ、10年くらい前この国で起きたクーデター未遂事件だな」
「その実行隊の裏にいたドンが現総理白谷で当時天皇側近だった鈴村は凶弾を浴び辛くも一命を取り留めた。いわば因縁の仲なのさ」
ブラウンとスラッテリーの前をアオキに付き添われながら鈴村は齢78歳とは思えぬ健脚で歩いている。
「なるほどな。通りで爺さん足腰強いわけだ」
「それからコーチ、彼は英語が得意だぜ」
それを耳にしたのか鈴村は振り返ってブラウンに笑みを浮かべた。
「失礼、閣下…」
ブラウンは苦笑しながら被っているキャップに手をやり会釈し非礼をわびた。
先導する隊員が指をさしながらスラッテリーに言った。
「隊長、あそこ、日本軍のトラックです」
「よし、あいつを奪うぞ」
一行は、鈴村を連れ、北関東の米海兵隊制圧地域まで行き、そこで特別護衛部隊に彼を預けるまでが “第1の作戦” でその後第二段階へ作戦は移行する。
この作戦は、連合国軍ではなく米軍単独で行われている隠密行動であり、さらに戦後社会で米国が国際社会で優位に立つための死活が掛かっていた。そのため、北日本へ侵攻するソ連軍に知られることはなんとしてでも避けねばならず、カラス組は予定外の敵トラック強奪により急ぎ南下することにした。
とうぜんながら、途中には日本軍が大勢いるはずで油断はできず気は抜けなかったが、ブラウンは同行する宰相鈴村翁を見てこれから起こるであろう大一番に一役買えた事を改めて感じ取っていた。
救出作戦を終えた後、後方収容施設方向で大爆発を隊員たちは耳にしたが、ツチヤこと力石が仕掛けたダイナマイトの炸裂音だとはこの時知る由もなかった。
——
那須における鈴村前総理蒸発事件は、ソ連軍の北日本侵攻により神州大日本帝国政府内では大きく取り上げられることはなかった。というより事件処理への余裕はなかった。
また同時に発生した政治犯脱走事件は、内務省は大臣への報告すらしなかった。
事件発生から約10日後の昭和21年4月4日、ソ連軍とともに日本共産党日本赤旗革命軍(日革軍)は宮城に上陸し、翌5日に仙台へ入った。
ソ連製武器を手にした日革軍総勢51名は、「日本人」で組織された革命市民軍とされてはいたが、実際の日本人は指揮官の堀部彗山《ほりべ・すいざん》と数名の同志のみで、他は亡命朝鮮人、アルタイ人、ゴルノ・バダフシャン人などアジア系人種の寄せ集めの見掛けだけであった。
仙台は、強固な日本軍守備隊が多数駐留していたが、多角的に上陸侵攻をしてきたソ連軍への対抗から東北各地へ分散せざるを得ず、防衛は手薄となっていた。そのため、3日に名取川河口へ大挙上陸したウザプリモスキー軍本隊の怒濤の勢いと相まみえ、戦闘らしい戦闘は行われずソ連軍に即日制圧されていた。
仙台の地に立った堀部は、この日早速、日本革命戦争の始まりを内外に向けアピールすべく、演説を行った。
演説は、短波を含めた複数の周波数を使いラジオで流された。
「私は日本東北区人民戦線議長の堀部彗山であります」
……
「起ち上がれ同志たち。農民よ! 工員よ! 軍人よ!」
「そして日帝を倒せ。ブルジョアジーを打倒せよ。この東北の農村からプロレタリア革命の火を日本中につけるのだ!」
……
「46.4.5、この仙台にて日本革命戦争の開始を宣言する!」
むろんソビエト共産党の極東における赤化方針通りに行われた政治的茶番劇に過ぎないアジテーションだが、この後、46年テーゼとして正式にまとめられる堀部の第一声は、疲弊する東北の人々の心へ強烈に焼き付けることには成功した。
(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。
―続く― 【日本本土決戦(33)】