こんにちは、imakenpressと申します。

山河残りて草木深し―日本本土決戦(33)

〈目次へ〉

ダグラス・マッカーサー。米陸軍元帥にて連合国軍の最高司令官である彼は、地球上でただ一つの戦場と言っても差し支えない日本の大地に立とうとしていた。その日本では、冬が終わり花咲き草木茂る季節が再びやってきた。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

—–◇————————

■桜吹雪の星条旗 ―マッカーサー東京入城

連合国合同軍厚木基地。
ここは僅か一ヶ月半前まで帝国海軍航空隊厚木飛行場と呼ばれ、国中から陸軍航空隊も含めた若き猛者たちが、目前に迫る敵に一撃食らわせようと集結していた国土防衛の要であった。また同時に基地を拡充していった結果、「深山」や「連山」、鹵獲した「B-17」 など四発大型機が運用可能な2千メートルクラスの長滑走路を有するに至っていた。
米軍も航空偵察などで厚木飛行場が大型機の運航が可能であることを知っており、日本本土へ物資を空輸できる補給基地としての役割と、戦闘機部隊を常駐できる戦略上の最適地として、関東上陸後直ぐに地上攻略部隊を派遣し、46年2月26日厚木飛行場と周辺地域の確保に成功した。

滑走路と基地主要施設の大半は、六日間行われた激しい地上戦と陥落直前に日本軍が自らの手でそれらを破壊していたので、空港の修繕と自軍規格に合わせるため滑走路の拡幅延長工事が占領直後から米陸軍特別設営部隊の手により迅速に行われ、まだ近くで砲弾が飛び交う最中でも昼夜問わず工事を進め、その結果B-29・36、C-97輸送機、徴用機ハーミーズなど大型機が占領から僅か十日後には仮運航可能となった。
また、航空作戦指揮所や兵舎も突貫工事で建設され、それらバラックは見すぼらしい佇《たたず》まいではあったが、敵のまっただ中に建設した基地であることから、連合国軍の兵士たちは“アツギ砦” と呼んだ。
その “アツギ砦” の兵舎 “ヒルズホテル” からA2フライトジャケットを身にまとった二人の男、米陸軍航空隊チャールズ・イェーガー大尉と同僚の航空技術部士官ジャック・リドレイ中尉が出てきて、玄関横に停めてあるジープに乗り込み戦闘機格納庫に向かった。
格納庫は、日本軍による襲撃を念のために考慮し、簡易ながらも防弾用鉄筋コンクリートで覆い固め、500〜800キロ爆弾程度の直撃であれば耐えられる設計としていた。
その庫内で組み立てを終えたばかりの新型航空機の鼻先をなでながらリドレイがイェーガーに言った。

「チャック、ようやくコイツの出番だな」

新型航空機とはP-80A「シューティングスター」である。
P-80Aは、米軍念願であった初の実戦用ジェット機で、推力約2450kgの胴体中央にレイアウトしたアリスンJ33Aターボジェットエンジン1基を搭載し、それから得られる最大速度は約965km/hで翼端増槽《ティップタンク》の推進剤を使用した場合の実用航続距離は約1500キロ、標準武装が中口径12.7mm機銃6丁とオプションとして作戦によりロケット弾や投下弾などに換装可能な翼下武器ユニットアタッチメントを装備していた。
一方、日本軍初のジェット迎撃機「橘烈」は、特攻機である原型機「橘花」のネ-12Bエンジンから1.5倍増の出力と高高度空戦に耐用させたネ-20改(B)に換装をしていたが、両翼2基の推力を併せても約940kgと10kNに届かず、最高速度は水平全力時に辛うじて約790km/hまで出せたが(参考として紫電改が最高速度594km/h)、限定戦術機というその性質上、増槽を持たせない設計としたため航続距離は約850キロと短かった。武装は大口径20mmおよび30mm機銃をそれぞれ2丁と両翼合計ロケット弾6発であるため同軍機に比べ重装備ながらもP-80Aがこの時代いかにケタ違いの機体だったかがうかがい知れる。

だがP-80Aとて欠点がなかった訳ではない。
世界に先駆け、欧州の空を乱舞していた独空軍機Me262のような後退翼構造ではなく、現行レシプロ機のデザインを踏襲し、無理矢理大きなエンジンを搭載した事により安定性は非常に悪く、パイロットの操縦技量が低いと高速巡航中でも失速しかねない “遊びの少ない航空機” であり、Me262の最終形態と言われた計画機HG IIIの方がコンセプトレベルながら遙かに先進的であった。
また1500キロという航続距離も中途半端で日本本土外、たとえば硫黄島から本州まで最短となる伊豆半島南端まででも1100キロはあり、東京上空での戦闘はおろか帰還すら不可能であった。蛇足ながら、航続距離約2700キロのP-51でも増槽めいっぱいで燃費を考慮したとしても硫黄島から関東空域で数分の戦闘を行い帰投するまでギリギリである。

イェーガーは、ちょうど一年前に終結した欧州戦で、愛妻名をつけたP-51D “GLAMOROUS GLEN III” を駆り、“ツバメ殺し”(ツバメ=Me262 Schwalbeの意) と恐れられたエースである。対ジェット機格闘戦のエキスパートとして、このP-80Aで編成された実戦部隊(実際には実験部隊)、第201A哨戒中隊の隊長として厚木基地に着任していた。もちろん好敵となるのは橘烈だ。

「なぁリドレイ、ダグのオヤジにコイツを見せてやりてぇな」

「だめだ。決定ではないがバターンの護衛はキルドール隊のサンダーボルトでやるそうだぜ」

イェーガーが数日後に日本の地を踏むため厚木基地に降り立つ予定の連合国軍総司令官マッカーサー元帥の座乗機B-17H2バターン号の護衛隊として、まだ日本の上空を飛んでいないP-80Aの初陣を飾りたいと思っていた。

そこでイェーガーはある “作戦” を思いついた。

「じゃぁ司令んトコに水兵から手に入れたアレもってこうぜ」

「あ?、アレってもしかしたらジャック・ダニエルか!?」

テネシー・ウイスキーが功を奏したのか、イェーガーが行った基地司令への “贈賄作戦” は成功し、マッカーサー機の護衛任務にはあっけなく201A隊へ決定した。

現地時間4月8日午前6時にマッカーサーを乗せたB-17H2バターン号は厚木に向けサイパン基地から飛び立った。
乗機の他に、ダミーにもなるまったく同じ外観をした予備のバターン号1機と空中警戒用として12機のP-51が航路中間の火山列島まで護衛としてつき、同空域で硫黄島基地から発進した同じく12機のP-51が日本本土まで先導した。

B-17H2は自衛火器以外、爆弾など重量兵器は搭載していないため約5000キロの航続距離が得られ、トラブル発生がなければ無給油で2300キロ離れた厚木まで余裕で飛べた。
バターン号は順調に飛行を続け、離陸してから約7時間半後の日本時間12時30分伊豆諸島上空にさしかかった。
そのとき、当空域で待ち構えていたイェーガー率いる201A 警戒中隊6機のP-80Aが雲海からバターン号の周囲に姿を現し、中隊はその高速かつ機動力を余すことなく演じた。
ここから厚木基地までわずか20分足らずの飛行ではあったが、その華麗なる容姿と舞いをちょうど機内でランチを済ませたばかりのマッカーサーはラウンジの窓からパイプを燻らせながら満足そうに眺め続けた。

12時52分、日本本土付近で強い南風に煽られたが、ほぼ飛行計画通りにバターン号は厚木基地の滑走路に着陸し、米本国から呼び寄せた新聞記者とともにマッカーサーは日本の大地を踏んだ。
本来はここ厚木基地で出迎えに来ていた派遣軍指揮官のホッジス中将やアイケルバーガー中将らとともに記者会見を開き、その後藤沢に置かれた連合国軍前線司令部に入る予定であったっが、マッカーサーは急遽予定を変更し、先月22日に陥落せしめたばかりの東京へ足を運び視察することにした。
自分が思ったことを直ぐに実行しないと気が済まない性格のマッカーサーであるため、幕僚たちもある程度彼の行動を想定しており狼狽することなく、記者を厚木に足留めさせ先に輸送艦で運んでいたマッカーサー専用執務車「キャデラック75 “リトルロック号”」をバターン号横につけた。

東京までの道のりは、厚木街道を北上すれば近いが、未だ道路整備が完了しておらず、若干の悪路走行も考慮し改造を施しているリトルロック号ではあったものの支障が出る可能性は高く、また途中で日本軍残党による襲撃の懸念もあり、東京へのルートは、町田からいったん横浜に出て東海道を北上するルートが取られた。
もっともこのルートは、連合国軍が物資輸送の動脈路として厚木基地建設と同時に再整備し、敵上陸に備え日本軍が行った幹線破壊・落橋作戦により崩壊された道や爆破された橋梁は修繕と回復工事が行われ、全線アスファルト化は途上であったものの、土が露出した所は砂利が敷かれその上を戦車や大型重機を使いほどよくならされていた。

そして、星条旗を着けたリトルロック号とその同型予備車両1台、護衛戦闘車両8台のランドシップ隊は13時過ぎに厚木基地を出発し東京に向かった。また米軍は上空にも念のため警戒機を飛ばした。
一行が横浜市内に入った頃、横須賀沖に停泊中の米海軍戦艦ウェストバージニアが祝砲を撃つという演出もなされるなど、街道を行き来する物資輸送隊とは明らかに異なる体裁の車列は、まるで大名行列のようだったという。
それを眺めたルート上の米軍占領下の人々は、改めて日本が敗北寸前か、既に降伏しているかも知れないことを認識した。

午後3時30分、リトルロック号は虎ノ門付近を通過した。
延々焼け野原が続いた光景を目にしていたマッカーサーは、突如目の前に樹木で覆われた場所が現れ、それが宮城《きゅうじょう》であることがすぐに判った。
桜田門を左折し、マッカーサーは内堀沿いに車を走らせた。
窓を少し開けていたリトルロック号には時より何処からともなく舞ってきた桜の花弁が入ってきた。

いつしか一行は深紅に染まった桜並木の下を走っていた。

「よくもこの桜たちは激しかった空襲や攻防戦に負けなったものだ・・・」

マッカーサーはそう思った。

千鳥ヶ淵にさしかかるとマッカーサーはリトルロック号を止めさせ、車外に出た。
突然の行動に副官のボーマン少佐は焦ったが、引き留める間もなくマッカーサーは帽子を脱ぎ皇居を眺めた。
空からは雪のように桜が、強い南風とともにマッカーサーに降り注いでいた。

「桜吹雪か。まるで今の日本そのものだ」

マッカーサーはボーマン少佐に向かい、独り言のようにそう呟いていた。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

←前話へ戻る

―続く― 【日本本土決戦(34)】