こんにちは、imakenpressと申します。

山河残りて草木深し―日本本土決戦(35)

〈目次へ〉

北から怒濤の進撃をしてきたソビエト軍は、対日参戦国間協定であるオアフ協定により北緯37度A.A.ラインにて侵攻を停止した。しかしそれは連合国軍の日本本土攻撃が終わったということではなく、米英連合軍が次ぎなる侵攻作戦へ移行するためのソ連への牽制に過ぎなかった。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

—–◇————————

■スティーブン・フォスター作戦開始

昭和21年4月末、後に「日本列島戦役」もしくは「昭和大乱」と呼称された本土決戦は最終局面に入ろうとしていた。
大日本帝国軍は、信州にあらゆる兵力を可能な限り集結させ、連合国軍との決戦に備えた。

信州は四方を山岳で囲われ、あたかも大きな城のようだった。
この王城に、各戦線で連合国軍と闘い転戦してきた帝国軍将兵たちが次々と最後の牙城を求め入城してきた。
大陸や太平洋の戦場を渡り歩いてきた木場敬一少尉もそのうちの一人で、未だ衰えぬ闘志に燃え好敵と空戦をすべく神州航空基地にジェット迎撃機「橘烈」とともに降り立っていた。

神州航空基地は、長野市郊外に昨年完成した長野飛行場をベースに拡張建設された決戦用航空陣地で、秘密性を高めるため正式基地名は存在しない。
基地には、農道を模した着陸路やダミー滑走路、偽《にせ》の格納庫などを巧みに配置することで、本滑走路や航空機を格納する掩体壕《えんたいごう》はカモフラージュされ、敵偵察機による上空観測を不可能にしていた。
また、国内各地に備蓄してあった燃料や弾薬をできるだけ集め、機材も塩山郊外、柳沢峠直下にあった中島三菱共同第2秘密工場(第1秘密工場は高尾山中にあって、連合国軍関東侵攻直前2月初旬に放棄し塩山に移った)からは、同工場で生産された四式戦「疾風」4機、零式戦54型3機それに「橘烈」2機と組み立て途上機のパーツ類を分解し、軌道の残っているところは鉄道を使い、それ以外はトラックや人足・牛馬を用い神州航空基地に運び入れた。なお柳沢工場は、連合国軍の甲州侵攻を想定しこれらを納品後爆破閉鎖した。
さらに西日本やソ連占領下からも神業的に脱出し降りてきた荒鷲もいた。

基地にサイレンが鳴った。

「滑走路にいる各員、退去せよ、海軍機緊急着陸!」

滑走路際に立っていた木場と部下の鳥尾、大平が北西を見上げた。

「隊長、あれは艦爆… 99式ですね」

「艦爆でよく敵防空網をくぐり抜けたもんだ。だいぶ傷ついてる」

そう鳥尾と大平がつぶやいた。

「いよいよ決戦のときだ。鳥尾、大平、褌を締め直せー」

「ああ、木場隊長は軍紀違反の猿股でしょ」

「ははは、それを言うなって」

彼ら、ジェット迎撃機橘烈隊は、改めて「烈神隊《れっしんたい》」と名乗り、信州の空を神雞《じんけい》として乱舞した。
木場はもはや現政権下の帝国存亡というより、職業軍人としての意地、さらには成層圏で四散した戦友、東埜が残した言葉でもある “この国の山河を守りたい” を心に刻ませ敵と闘い続けていた。

 

中央政府と参謀本部は、長野市南方の千曲川右岸に位置する松代郊外の尾根斜面を掘削して建設した地下壕群にあり、簡易的ではあったが宮城も避難隧道を備え地上部に建てられていた。そして長野市を含めた一帯を “信濃京” と呼称した。
松代は、西は善光寺平《ぜんこうじだいら》と呼ばれる平野部だが、千曲川があり、東には南の浅間山から北へ延び草津白根山を経て苗場山まで続く上信越山地がそびえる天然の要害になっていった。

繰り返すが、要害といえば太平洋と日本海の分水嶺に位置する長野県全体がある意味そうで、地上どの方向から長野市内に攻め込むとしても、越後口信濃川遡行ルートを除けば必ず急峻な峠か山岳を通過せねばならず、こと西側飛騨山脈越えは、古来から佐々成政のザラ峠(立山連峰)越えの特異な例はあったものの、大軍の通過はまずもって不可能であり、さらに信州に神州を引っかけた語彙も得てして妙で、長野が日本の中枢としてある意味うってつけであった。


そのため、連合国軍が地上部隊を進軍させるルートは限定され、日本軍守備隊の配置は比較的容易に行えた。
大まかに信州へ攻め入るルートを分けると以下の通りとなる。なお昭和21(1946)年5月1日現在連合国軍は関東地方と一部静岡県、山梨県以西の本州は勢力下に置いていないため、伊那、木曽、飛騨、上越からの侵攻は難しく侵入路は長野県東部にほぼ限られる。

(1)甲州口
八王子・甲府方面から八ヶ岳山麓の長い坂を登り、塩尻に抜ける甲州街道。
戦車部隊を含めた大軍を長野に侵入させる最適ルート。ただし善光寺平方面に進出させるには、諏訪から中仙道に入り東進し和田峠を越え小諸・上田に出る必要があり距離が長い。
中央本線の鉄道インフラを復旧させることで、大量物資の運搬が可能となる。

(2)上信国境(草津)口
吾妻方面から上信越山地の峠を越え松代を攻め込むルート。
本営を攻略する最短ルートで、複数の峠から分散進軍が可能。なれど急峻な山地・峠は戦車部隊の交通は困難を極める。

(3)上州口
高崎から中仙道を西進、難所碓氷峠を越え、軽井沢、小諸、上田、更埴を抑え善光寺平に進出するルート。
日本軍の交通路破壊、遮断戦は考えられるものの、戦車部隊の通行が可能。機甲部隊を善光寺平に進ませるには最短。
信越本線の鉄道インフラを復旧させることで、横川までなら大量物資の運搬が可能となる。

(4)越後口
信濃川遡行ルート。
下越地方北部を制圧しているソ連軍の協力を得て、中越を制圧することが前提だが、日本海から戦車部隊を上陸させ、千曲川沿いに平野部を南進する。大部隊の移動が可能。

これらをいかに守り攻めるかが信州攻略の鍵となるわけだが、いずれにせよ連合国軍総司令部は、スティーブン・フォスター作戦を5月1日をもって発動し、作戦総司令官には、米陸軍ブライアン・カーヴィル大将が任命され、それは大胆にもVOA(Voice of America:米国国営放送局「アメリカの声」)で日本側にも一般中波放送を通じ伝えられた。

—-

 

「戸崎さん、そろそろ次の手ですかね」

現神州帝国政府をクーデターにより作り上げた立役者、戸崎信三郎の須坂にある私邸で満州放浪時代から彼の懐刀だった三田村淳吉がそう言った。

「カーヴィル将軍ってやつは確か軍政上がりで、佐官時代のヤツを一度上海で見たことがある」

「どんなヤツです?」

「ニヤニヤした野郎だったな。どう考えても野戦司令官って型じゃねぇ」

戸崎は、神州帝国政府の瓦解などまるで気に留める様子もなくしばらく三田村と雑談を交わした後考えを打ち明けた。

「良松宮蓮彦王《よしまつのみや・はすひこおう》を立て、反ソ旧露帝派のいる央亜に行き再起を図る…」

これまで裏社会で暗躍し非合法活動を繰り返してきたアウトロー、三田村もさすがに度肝を抜かれた。

「まさか、あの主戦論者の宮さん中将を担いで中央アジアへとは、いやはやこれはまた」

「白谷と生田の爺さんは見捨てる。央亜の反ソ組織とはかねてから昵懇だ」

この途方もない誇大妄想的発想は、戸崎にとっては冗談でも夢でもなく本気であった。そしてこの発想そのものが日本国をここまで逼迫させ、数十万、いやそれ以上の人々を死に追いやったとも言えた。

—-

 

連合国軍は、スティーブン・フォスター作戦の発動と同時に、信州各要所へ空爆を開始した。
1日午前1時、先陣として旧帝国陸軍立川飛行場を改修し「福生基地」と新たに命名された前線航空基地から夜間視界レーダーを備えたB-25爆撃機隊とP-61夜間護衛戦闘機が出撃し、部隊は信州を南北に別れ進撃し、上田、長野、諏訪方面を攻撃した。
これに対し日本軍は、新型対空夜戦レーダーを装備した「極光改」3機を松本飛行場から発進させ、諏訪から松本に向かう敵部隊を木曽谷方面に追い払うことに成功したものの撃墜はできなかった。

続いて日出後、昼間爆撃作戦として、同じく福生のB-25隊と海軍から九州攻略時に初陣を飾った艦上攻撃機AD-1 “スカイレイダー”(旧称BT2D)隊を相模湾上空母から発進させることとなっていた。
爆撃隊の護衛任務は、厚木基地駐屯の陸軍航空隊戦闘機隊が担当し、ジェット戦闘機部隊第201A哨戒中隊の出撃も決まっていたため、隊長であるチャールズ・イェーガー大尉は出撃前の飛行隊隊長のブリーフィングに参加していた。

「ヘイ、チャック!気をつけろよ、ジャップ空軍連中はドイツ機に独自の工夫を懲らしてる。“ツバメ殺し” のお前さんでも甘く見るとケツ噛まれるぞ」

ブリーフィング中にそうイエガーに声をかけたのは、四ヶ月前に神奈川上空で帝国海軍のロケット機 “秋水” による強襲を受けた第82戦闘飛行隊隊長フランク・ネピア少佐だった。

「少佐、了解した。ただ俺はいつも全力だ。後がない奴等も全力だろうから手は抜かない。それがガンファイターたるアメリカ軍人が日本のサムライに対する礼儀ってモンだ」

「ふっ、まぁいいさ。俺たちアメリカ空軍の力を見せつけてやれっ」

余談ながら、彼らは現時点でアメリカ陸軍航空隊に籍を置く連邦陸軍将兵だが、独立軍組織としてすでに空軍化が決定しており、国家安全保障法への大統領署名はまだだっものの、航空隊員たちの間では「空軍」と呼んでいた。

午前7時17分、飛行群指揮官ヘンリード中佐の合図で隊員たちは一斉に自分が操る機体のもとに走った。

滑走路に連邦軍伝統の突進ラッパが響き渡った。
もちろん大戦中、母港を抜錨する戦闘艦でもない限り、このように悠長なセレモニーはやらないのが基本だが、今作戦は別で最終決戦になろうかという局面での士気向上、力の誇示的意味があった。

戦闘機が順序出撃していった。

第201A哨戒中隊はジェット機部隊であるため、滑走割り当てが殿《しんがり》で、イェーガーはP-80Aのコックピットから大空に舞っていく戦闘機隊を眺めていた。

約20分経過し、ついに201A隊の出番となった。

「オールグリーン、よし、全機かかれっ! イグニッション!」

そして突進ラッパの音が聞こえなくなるくらいの轟音と共に、6機のP-80Aがターボジェットエンジンから排気された特有の臭いを厚木に残し北西方向の空へ高速で跳んでいった。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

←前話へ戻る

―続く― 【日本本土決戦(36)】