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山河残りて草木深し―日本本土決戦(4)

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昭和20年8月14日、長引く戦争により疲弊の極みに達していた日本——

広島長崎への原子爆弾投下とソ連参戦により、これ以上の国体維持が困難と判断した日本帝国政府は連合国に降伏する準備をしていた。
しかし降伏を潔しとしない一派 “神州救國会” がクーデターを起こし内閣を樹立、その新政権により戦争は継続されることとなった。

※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。

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■風雲南九州

秋風漂う昭和20年10月、日本の全ての都市という都市には連日B-29による空襲が続いていた。
帝都東京は、ほとんどが焦土と化したかのように赤茶けた大地となり、ところどころ敵から受けた爆撃による巨大なクレーターまで出来上がっていた。
中枢の大本営と政府機関は帝都にとどまっていたが、天皇と皇后それに主立った皇族は玉座および神器と共に信州松代に建てられた皇居に避難した。
松代には皇居以外にも政府中央機関と大本営を置けるだけの巨大地下壕が造られ、戦況を見極め逐次移動を予定していた。

その頃、九州各地では見慣れない大型機の飛来が目撃されていた。
明らかにB-29より巨大な機体は、プロペラが後ろ向き推進型エンジンで総数は6発だった。
これは米軍が開発していた「B-36ピースメーカー」で、日本に対し米軍の力を威武するためカーチス・ルメイ少将の肝煎りにより、前倒しロールアウトしていた。
日本でも軍、航空関係者など一部ではその存在は知られていたが、その余にも巨大な大鷲が乱舞する姿を見た一般の人びとは恐怖に身を竦めた。
B-36飛来と共に南九州近海には米軍のものと思われる艦船が集まり始め、日に日にその数は増えていった。これは米軍による上陸作戦が始まる前兆れであり、九州各地、俄に緊張が走った。

10月20日、まるで戦争などないように海は静かだ。
太平洋各地を転戦し、沖縄戦も経験していた米陸軍第43歩兵師団第3大隊B中隊に所属してるハンス・ブラウン軍曹は、沖縄から北東に航海している輸送艦甲板から葉巻を燻らせながら言った。

「やけに静かたぜ」

傍らにいたマーカス・エドモンド一等兵は3ヶ月前に本国から補充兵として送られてきた18歳の若者だ。

「軍曹殿、カミカゼがバンバンやってくるかと思ってましたよ。奴等に抵抗するだけの戦力はないということでしょうか?」

「そうだなマーク。俺たちが徹底的に叩きまくってるから反撃する力はないのかもな。しかしな、奴らはタフだ。俺たちが丘に揚がってくるのをジッとまっているのさ。しかも本国の内陸戦ともなれば相手が軍人だか民間人だか見分けがつかん。気をつけろよ」

「赤ん坊が武器を持ってこちらを狙うとでも?」

「あり得る」

「その時は?」

「殺《や》れ。躊躇なくお前のガーランドで撃ち殺せ」

――海は相変わらず静かだが、激戦になるであろう大きな戦場(いくさば)に米艦隊は着実に向かっていた。

そしてついに米軍が動き始めた。
高知県沖を哨戒中のかつお漁船を改造した帝国海軍通報艦吉野丸は、上陸舟艇をともなった敵部隊が土佐湾方面に向け進んでいる姿を10月25日夜半にキャッチした。
ただちに “敵上陸部隊多数土佐沖ニ見ユ” の無電を飛ばした。
しかしこれを陽動と読んでいた日本軍は、本隊は予測通り南九州へ上陸すると踏んでいた。
ほぼ同時刻、大隅半島沖を新型特攻魚雷「天維」を懐き偵察中の第6艦隊イ58潜が敵大部隊を捕捉した。
この通報を海軍経由で受けた第2総軍第16方面軍司令部は、数日以内に南九州への上陸が始まると確信し、各海岸防備の部隊へ敵上陸阻止の戦闘命令を通達した。

 

板倉弦二郞陸軍二等兵は、第156師団第455連隊所属の初年兵で、ついさっき他愛もないことで先輩兵たちから受けた “修正” の痣がまだ右ほほに残っていた。
筑後は三潴郡荒木村出身の九州男児で、今般の決号作戦おいて宮崎の決戦陣地に配属された。同じ九州ではあるが、北と南、西と東ではまるで風土が異なり、弦二郞は遙か遠くの地方に来た感覚だった。

「米兵を一人でも多く叩いてここで玉砕するのだ」

そう思っていた。
手には三十八式歩兵銃を持っていたが弾丸は十発しかない。
他の武器と言えば有田焼の爆弾と銃剣くらいで、米兵が上陸してきたら真っ先に突撃し、その味噌壺のような鋳物を抱いて敵戦車に体当たりし爆死しなくてはならない。
しかし内心としては、筑後《くに》に残していた幼妻とやや子のことが気になってしょうがない。

「九州が戦場になれば筑後もただじゃ済まない」

そう思うのも極当然のことだった。
味噌壺如きの大きさの火薬では戦車はおろかジープですら吹き飛ばない事は判っているからだ。
弦二郞の他にも召集兵は大勢いたが、全員実戦経験はなかった。

 

26日早朝、帝国陸海軍が特攻による総攻撃を開始した。
九州地区に温存されていた戦闘任務機を除くほぼ全て、約80機の特攻機が海軍鹿屋基地と大分基地、それに陸軍知覧基地などから出撃していった。標的は南九州に展開しているハルゼー艦隊である。

艦隊中央には航空母艦と随伴艦が大挙いるわけだが、第一攻撃目標は面前で構えている上陸部隊を満載する輸送船団だ。

午前6時、突撃部隊はそれぞれ目視で定めた敵艦船めがけ襲いかかった。
しかし、上空で哨戒している米戦闘機部隊と近接信管を用いた対空砲により、ほとんどの機体は敵艦に体当たりする前に海へ墜ちていった。

80機の特攻機のうち、敵艦に命中したのはわずか1機で、機関不調により単艦でいた油槽船L.ゴードンに体当たりし損傷を与えた程度だった。
その後ほどなくして、二次攻撃隊の海軍陸攻30機が数機の零戦直援機を伴い襲いかかる。
陸攻の腹には火薬式ロケット機「桜花」と「桜花改」(桜花22型)の両特攻機が抱かれており、まず作戦稼働時間が長く、速度でも優位な「桜花改」が放たれ敵艦に向い、「桜花」がそれにが続いた。
だが大半の陸攻と直援機は放つ前に撃墜され、桜花部隊もあっという間に全て打ち落とされてしまった。
辛くも残された母機の陸攻は付近の艦船めがけ突撃を仕掛けたが、全機むなしく叩かれ海の藻屑と化した。

一方、米機動部隊に対しては、潜水艦部隊が放った人間魚雷「回天」と「天維」数十基が襲いかかった。
天維は回天の改良型で、原型は同じ九三式魚雷だが、新式蓄電池を搭載し速力を5%以上も増すことに成功し、操作性と運動性にも優れていたため、敵艦への命中率は非常に高いと期待されていた決戦兵器だ。
その天維と思われる一基が、ハルゼー艦隊空母ハンコックに命中した。
大きな水柱が舞い上がりハンコックは左に傾斜した。
沈没こそ免れたものの戦列からは離れなくてはならないことは明らかだった。
続いて特務艦エルトン、揚陸支援艦ジョンストンに命中、両艦は沈没した。
巡洋艦サンディエゴも餌食になりかけたが、直前の回避により回天は点火のタイミングが合わずサンディエゴは小破にとどまった。

26日はその後も散発的に空と海からの特攻が続いたが、米軍は初戦における戦傷のみで済んだ。

(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。

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―続く―【日本本土決戦(5)】