神州帝国軍は、善光寺に本陣を構え残存軍を長野市域に集結させていた。その総数は約1万600の歩兵部隊と第1、第2近衛戦車大隊合計21輌の一式中戦車と九七式中戦車車及び数十門の野戦砲類に過ぎず、圧倒的物量で進撃してきた連合国軍と対峙するには余りに非力であった。
※実際の歴史時系列と異なり、架空の人物、固有名詞も登場します。
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■昭和大乱 ―信濃京
昭和21年5月6日早朝、北信地方は昨日から降り続けた雨は止んでいた。
“サツキバレ作戦” を決行中のウィリアム・スラッテリー大尉以下、米軍特務部隊SOCは2台のジープと偵察用オートバイ1台を使い、神州軍松代本営に辿り着いていた。
この松代地区には神州軍の皇宮警察隊と禁裏守衛隊あわせて1500名ほどが当地防衛にあたっていたものの、西進してくる米陸軍第4歩兵師団第12連隊との交戦を避けようとしたのかSOCが来たとき姿はなく、本営は蛻《もぬけ》の殻状態だった。
ここを中心に半径1キロ以内の松代地区に総理大臣公邸を含めた中央政庁と宮城もあり、SOCは急ぎ宮城に向かった。
皇城内には、戦闘の意思を示していない少数の警官と文官のみがおり、彼らに主上の所在を確認したところ、既に禁裏から離れていることを知った。
アオキは焦った。
「加治木《ジェネラル》、早すぎる。キャプテンウィル!急いで例の日本軍飛行場に向かおう」
「エドどうした?」
「同調したジェネラルが我らを待たずして昨夜先発したようだ」
スラッテリーはすぐさま追う指示を出した。
「クソっ、全員ジープ《クルマ》に乗れ!加治木を追うぞ」
そのとき “コーチ” ことブラウン軍曹が機転を効かせた。
「ウィル!隊員満載のジープじゃ重く遅い。コイツで先行する。エド後ろに乗って向かった先を指示しろっ!」
「判ったコーチ!」
ブラウンは特殊作戦用に改造したオートバイ《インディアン741B》に跨がり、後ろにアオキを乗せ全開で飛ばし、一行の後を追った。
この時、加治木たちは、千曲川東岸上高井郡川田村まで辿り着いていた。目的地、神州航空基地までわずか3キロの地点である。
神州航空基地は松岡地区にあり、そこへ行くには千曲川と犀川を渡河しなくてはならない。
両河川に掛かる橋梁は、日本軍によってことごとく爆破され落橋していたが、唯一、両河川が合流する牛島・大豆島地区に架けられ、戦車が渡れる幅と強度を備えている落合橋《おちあいばし》のみを作戦上残置していた。
とうぜん落合橋には神州軍による検問と防衛線が張られてはいるが総隊軍司令官特権により通過は難しくはない。
しかしながら、昨日5日から米陸軍第4歩兵師団先遣部隊と同第101空挺師団による侵攻で開始された善光寺平での地上戦により一行は身動きできなくなっていた。
事が事だけに加治木は友軍であろうとも自分たちが “御料車” であるなど言えるはずもなく、にっちもさっちも行かなかった。
ブラウンの運転するインディアン741Bは、泥濘《ぬかるみ》に出来た真新しい轍を頼りに北西方向へ飛ばし、その遙か後方を11名の隊員を乗せた2台のジープが追った。
長い坂を下り、果樹畑が点在する辺りまで来た頃、砲声と銃声音がのどかな田園に大きく響き渡り、それは善光寺平一帯で繰り広げられる地上攻防戦の激しさを物語っていた。
「エド!いたぞっ! あのクルマじゃないか?」
ブラウンは果樹園の中に止まっている2台のトヨダAAを視認した。
同時に近くの樹木から5、6名の武装集団が姿を現し一行に向かっていることも確認できた。
「まずい!クレージードッグスだっ」
それは神州軍秘密警察隊の一隊でだった。
長野攻防戦が始まってから、敵味方であろうが区別なく殺戮を繰り返してきた彼らには、もはや正義も秩序もなく、単なる武装殺人団と化しており、たとえ民間人だとしても処刑対象であった。彼らの存在を知っていた連合国軍将兵たちも “クレージードッグス” と称し常に警戒していた。
「よし奴らに突進する。エド掃討しろっ」
「了解!」
ブラウンはオートバイを秘密警察隊真っ正面に向け突っ走り、彼らの目前で急ターンし停車した。
唖然とする秘密警察隊を尻目にブラウンは手榴弾を投げ、次いでアオキがサブマシンガンを放ち、敵に反撃の余裕を与える前に全員倒した。
ブラウンとアオキはオートバイから飛び降り、一行の車まで走った。
「君たちが例の米軍特任隊か?」
加治木が英語でアオキに問いかけ、アオキは日本語で加治木に返答した。
「ジェネラル。その通りです。私は米国海軍情報局のエドワード・アオキ少尉です。これより聖上は我らがお守りします」
しばらくしてスラッテリーたち2台のジープも追いついた。
「フーッ、さすがだなコーチは」
スラッテリーは近くに横たわる秘密警察隊の屍を見て、ブラウンの機転を効かせた行動のおかげで事なきを得たことを知った。
「よしコーチとエドはジェネラル一行に同行しろ。もう一人、サイお前も日本車に乗れ。俺たちは後を追う。それからトニー、バイクで斥候だ」
サイモン・キャンベル伍長が先導車に同乗し、ブラウンとアオキは、加治木大将と天皇と皇后の乗る後方車両に乗り、脱帽し最敬礼を行い、天皇と皇后と対面する形で床に伏せた。
そして一行は改めて神州航空基地に向け出発した。
落合橋の手前まで辿り着きいったん停車し、先に斥候としてバイクで橋の偵察を行った隊員の報告をスラッテリーは受けた。
報告から橋梁付近の日本軍部隊は戦闘に備え、工兵部隊がいつでも落橋できるよう爆薬装填をしている最中で橋梁守備部隊は20名以上いる事が判った。
「一戦交えるのは得策ではないな。ここはジェネラルに芝居をしてもらうか…」
敵の数、橋梁に爆薬装填という状況から、戦闘プロ集団であるSOCをもってしても苦戦を強いられることは必須で、例え勝っても時間的ロスになる。
そのためスラッテリーは加治木が当初予定していた通り、“総隊軍司令官特権” をもってして正々堂々通過させる事にした。
もちろんこの場合、敵である米軍車両は通過できない。
「一か八かだ。ジェネラル。ここがアンタの花道だ」
そうスラッテリーは加治木に言い残し、後方に身を隠したジープから攻撃態勢をとりつつ一行の通過を見守ることとした。
ブラウンとアオキ、キャンベル伍長は引き続き同行することとなり、武器弾薬とショルダータイプの米軍携帯無線機などを先導車に詰め込んだ。
2台のトヨダAAはゆっくりと落合橋に向かった。
橋梁守備隊の検問所まで進み、加治木が車外に出て、天皇皇后が同行していることは隠しつつ「とある皇族要人の通過」であると事情説明を行った。
ブラウンとアオキは身を隠した車内から緊張し様子をうかがった。
5分後、加治木が戻ってきた。
「アオキ君。問題は無い」
そう加治木が言った。
この時たまたま牛島地区における守備隊長が加治木と昵懇の陸軍少佐であったため、臨検されることもなく、ほぼフリーパスで通過可能となった。
2台はゆっくりと落合橋を渡り対岸に走り抜けていった。
それをカールツァイスの双眼鏡を通し観察していたスラッテリーは一安心し、ここで一行の長旅の安全を祈った。
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今日未明に連合国合同軍厚木基地から飛び立った日の丸をマーキングし日本軍機に偽装したDC-3 “Takeru号” は巡航で長野上空を飛行していた。
機体識別ナンバーは既に連合国軍に告知済みなので撃墜される恐れは少なかったが、機長である伊佐馬忍《いさま・しのぶ》は、周囲警戒に余念がなかった。
伊佐馬は航空基地の位置を視認してはいたが未だアオキたち地上支援部隊からの連絡がなく長野上空を目立たないようTakeru号を旋回飛行させていた。
「これで6周目だ。おい、スコット中尉。ゲージは」
伊佐馬は横に座る副機長のスコット中尉に燃料残量を確認させた。
「残り…400ガロン」
「あと約10周が限界だな。エド、早くしろっ」
午後2時、加治木たち一行の2台のトヨダAAは神州航空基地にたどり着いた。
基地の入り口には神州軍の警備兵がおり、制止させられた。
ブラウンとアオキは拳銃を手にし荷物に紛れ身を隠した。
加治木は総隊軍司令部の極秘任務であることを警備兵に告げ、直属の上官をここへ呼び出させた。
そして上官である陸軍中尉が現れ加治木は、無言で御料車に御召しているのが聖上陛下であることを示した。
陸軍中尉はあまりのことに唖然としながらも一行を先に通した。
滑走路が目前に見えてきた。
アオキはショルダー型無線機のスイッチを入れ、米海軍用暗号チャンネルでTakeru号に向け呼びかけた。
「ウミガラスよりムクドリへ、幌馬車はシエラネバダを越えた。繰り返す…」
すぐさま上空を旋回中のTakeru号がアオキの放った無線をキャッチした。
「ヘイ、シノブ! 来たぜウミガラスだ!」
副機長スコット中尉が興奮し伊佐馬そう言い、アオキに無線返答した。
「こちらムクドリ。ウミガラス諒解した。幌馬車の荷を下ろせ。OVER!」
伊佐馬はTakeru号の機体高度を落とし、神州航空基地への着陸コースに進路変更した。
「よし!着陸態勢に入る。さて、Takeru号…日本軍にバレるなよ」
加治木たち一行は滑走路付近に車を止めていた。
アオキが窓から上空を見てTakeru号を確認した。
「コーチ! 来たぞ! Takeru号だ!」
伊佐馬はTakeru号を爆撃で多数の穴の開いた神州航空基地の滑走路に見事に着陸させた。
機体から飛び降りた伊佐馬は、アオキに日本語で叫んだ。
「まずは御二人方を奥の座席へ!」
「よし忍、判った! コーチ!」
「エド、陛下とともに早く行け、オレとサイでカバーする!」
後方の日本軍施設からは、さっき門前にいた陸軍中尉が数名の武装した陸軍兵を伴い着陸したTakeru号に小走りで向かってきた。
ブラウンとキャンベルはサブマシンガンを構えとっさの事態に備え安全を確保した。
この一行とDC-3のクルーの中に米国人が居ることが知れたらただではすまないことは予測できた。
そして天皇皇后と数名の侍従はアオキの導きでTakeru号に移り、後を追うようにブラウンとキャンベルもTakeru号のハシゴを駆け上った。
滑走路上にはまだ加治木が残っていた。
アオキが機内から叫んだ。
「加治木さんアンタも来い! 脱出しろ」
「アオキ君。私にはまだやるべきことがあるのだ。後はよろしく頼む。くれぐれも陛下御身に何事も無きようにな」
そう加治木は言い残すと、再び乗ってきたトヨダAAの位置まで下がっていった。
アオキはそれ以上何も言わず、加治木に敬礼しDC-3のドアを閉めた。
同時にTakeru号はゆっくり動き180度回頭し、降りてきた同じ滑走路上に離陸体勢をとった。
「エド、いいな。行くぞ!」
操縦席から伊佐馬が客室のアオキに合図を送り、Takeru号は飛び立った。
伊佐馬は機体進路を西に向けた。
「エド、輸送機は何処行くんだ」
「大阪伊丹だ。そして聖上の向かう先は…京都皇宮」
これこそがアオキが立案した一大計画の全貌であった。
大日本帝国天皇が、古の頃よりの皇城である京都皇宮、すなわち京都御所へ帰京を果たし、そこで宣旨《せんじ》、「君側ノ奸《くんそくのかん》ノ排除」と「非常ノ措置ヲ以テ時局ヺ収拾セム」という勅許をもって大局を偃武《えんぶ》する。もちろん現憲法下で行われることが望ましく、先に幽閉先から脱出した鈴村幾太郎第42代内閣総理大臣を正式な内閣首班とした帝国政府として「聖断」を得る形とする。
先の勅許草稿は古尾勝吉前侍従長の手で進められ、停戦手順は臨時政府外務大臣として内定している袋内太郎元駐英大使の手で準備されていた。
また、“勅許” は帝の入京後に特設されたスタジオでレコード録音(後に玉音盤と一般的に呼称される)され、即米軍機により東京に空輸され、日本放送協会の愛宕山にある東京放送局より内外に向けて発信する手筈だった。
歴史は急加速していた。
昭和21年5月8日、未だ長野では神州帝国軍が連合国軍に抵抗戦を続け、白谷藤一郎神州政府内閣総理大臣も存命ではあったが、京都において鈴村幾太郎内閣総理大臣が宣旨を受け改めて大日本帝国政府首班に返り咲いた。
そして同時に、神州軍に組して戦った軍人や軍属、民間人に至るまで戦闘を停止するならば、罪を問わないどころか祖国の山河を守るため最後まで戦ったことへの賞賛の辞を述べた。
“終戦” へ舞台がここに整ったのである。
「クソっ、鈴村めっ」
三田村淳吉が舌打ちした。
飛騨高山のアジトまで落ち延びていた戸崎信三郎ら神州救國会一派と良松宮蓮彦王《よしまつのみや・はすひこおう》中将はこの地で情報を得ていた。
戸崎という男は用心深くそして抜け目のない性格で、本土決戦開始とともに日本各地に隠れ屋を作ったり支援者を配置し、来たるべきその日に備えていた。
良松宮が戸崎にたずねた。
「戸崎、本当に大陸に渡るつもりか?」
気性が荒く、“武闘派宮様” として知られていた良松宮だが不安は隠せなかった。
「然り。満州馬賊の厳祥珀《げん・じょうぱく》らの協力のもと大陸で朝廷並びに亡命政府を旗揚げし聖戦を続行します。もちろん米国傀儡となるであろう日本偽政府に宣戦布告も辞さないつもりです」
「しかしな、例え皇族であっても自分は帝の臣下に変わりはない」
「尤もですな。ただ殿下の出自は、七辻宮家、統松《むねまつ》親王まで辿れます。正統な血統であらされる殿下こそ、敗北し米国州と化すであろうこの日本を北辺の地から糾《ただ》す方なのです」
戸崎信三郎は正論らしい事を述べてはいたが、眼中に良松宮はなく、宮家当主であろうが彼の単なる野望の駒に過ぎなかった。
なお、神州航空基地の憲兵隊により身柄を抑えられていた総隊軍司令官加治木亘大将は、アオキたちが飛び立った日の夜、終戦を待たずして靴下の中に隠し持っていた小型拳銃を使い自決を図り自らの命を絶っていた。
(注意)
※IF ワールド シミュレーション戦記です。
※一部の人名、固有名詞は架空のものです。
―続く― 【日本本土決戦(41)】